Loading...

BUNSEI SHOIN CO.,LTD

サイト内検索※webshop商品は検索対象外








【年末年始についてのお知らせ】12月28日(水)から1月5日(木)までのご注文は、1月6日(金)より順次在庫のご案内および発送をさせていただきます。
 遅れが生じますこと、深くお詫び申し上げます。期間中は何かとご迷惑をお掛けいたしますが何卒ご了承の程お願い申し上げます。

文生書院の本

復刻版復刻版(キネマ旬報)新刊

映画新報(占領期を中心とした『キネマ旬報』後継誌)

占領期を中心とした『キネマ旬報』後継誌【復刻 第一回~第六回 配本】
いずれもキネマ旬報同人によるもので、実質的にキネマ旬報発行といえる4タイトルです。

第1回.キネマ再建号
第2回.キネマ再建号
[1946-1950] キネマ旬報社内の離散集合のため、現在も続く復刊『キネマ旬報』の号数にカウントされていない幻のキネマ旬報。
第3回.アメリカ映画
[1946-1948] キネマ旬報同人による発行。実質的にキネマ旬報発行といえる。アメリカの映画を主に扱っている。GHQ占領政策に沿って発行。
第4回.映画新報
[1950-1952] 『キネマ旬報 再建号』休刊後の後継誌として田中三郎発行編集人により刊行。権利売却により『キネマ旬報』の題名で出せなかった。
第5回.映画春秋
第6回.映画春秋
[1946-1950] キネマ旬報同人による発行。実質的にキネマ旬報発行といえる。芸術としての映画にフォーカスし文化人が映画評を書くために発行。
 完結済:昭和戦前期 キネマ旬報  249-735号(1927ー1940)元装復刻版 こちら

『映画新報』 映画新報社
発行編集:田中三郎

1~25号   1950年8月1日~1952年3月15日

戦時中の雑誌統制で自ら『キネマ旬報』の看板を下ろし、日本映画雑誌協会理事長、日本映画協会参与など体制側に寄り添ってきた同誌の創始者・田中三郎は、私生活では家族の事業失敗から借金地獄に陥るなど「霧消したもろもろの映画出版物の怨霊が祟つたらしく、私ごとでいうと、それからは碌なことがなかつた」という。戦後に飯田心美、水町靑磁、友田純一郎、滋野辰彦、村上忠久の五名が『キネマ旬報』再建の相談を持ち掛けた時も自ら陣頭指揮を執る気力はなく、誌名を彼らに譲り、「同志の奮闘を傍観するにすぎない有様であつた」と『映画新報』の「創刊の辞」で述べている。

だが、その再建『キネマ旬報』が4年間の奮闘虚しく昭和25年(1950年)4月1日発行の第七九号をもって休刊となり、かつ戦時中の廃刊に涙を流して反対し、再建号の中心人物として健筆を振るった水町靑磁が第79 号の発売直前に新橋駅で事故死した報に接するに及び、何かに突き動かされるが如く田中が編集兼発行人として映画ジャーナリズムの世界に現場復帰した雑誌、それが昭和25 年8 月1 日に創刊号が発行された『映画新報』(英語名:SCREEN HERALD)である。その背景に、水町の死を無駄にしないためにも何とか再び『キネマ旬報』を復活させよう、との想いがあったことは創刊号での2 頁の水町追悼特集からも容易に推察できる。

だが、熱い思いとは裏腹に、現実は厳しいものだった。先ず、自らが生みの親であった『キネマ旬報』という誌名は、休刊中とはいえ、自分が再び使うことは出来なかった。何故なら、再建号休刊は単なる経営破綻ではなく二つの組合間での発行権を巡る内紛があったが故であり、いずれはどちらかが再発行する事が予想されたからである。「創刊の辞」で田中は次のように語っている。「ここに、「映画新報」を創刊するについては、あらゆる私情、障碍を排しても、本来ふたたびみたび「キネマ旬報」を呼称すべきでもあるが、そこにはそれを沮はばむ多くの現実の問題がある。殊に嘗て自らの手でこれを閉じた門でもあり、国家社会事情の変遷、日本映画界状勢の推移からも、徒らに十年以前の古きになずむの安易などは或いは大きな過誤を犯すの因となるべきをも惧れるのである」  (『映画新報』解説 ・谷川建司(早稲田大学) より抜粋)

alt

第4回 配本
2020.10 刊行済

ISBN 978-4-89253-640-3

1 ~ 10号
11 ~ 25号
1950年8月10日~1951年3月1日
1951年4月1日~1952年3月15日
計574頁
計518頁
¥42,350
(¥38,500 税別)
お問い合わせ
buy nichifuru l
buy amazon l

 




『キネマ旬報』再建号    キネマ旬報社

第1号 ~ 第79号  1946年3月1日~1950年4月1日発行

廃刊から2年3か月、戦前からの同人、飯田心美を編集発行人とし戦後の再建第一号が発行された。伝えられている話では、戦前の創刊時からの主宰者であった田中三郎に『キネマ旬報』再建の相談を持ち掛けたところ、自ら再建する意思の無かった田中は快くこれを受け入れ、誌名を譲ったのだという。


第1回 配本
2018.8 刊行済

ISBN 978-4-89253-626-7

1 ~ 10号
11 ~ 24号
25 ~ 36号
1946年3月1日~1947年2月10日
1947年3月1日~1947年12月1日
1948年1月1日~1948年6月15日
計476頁
計538頁
計536頁
¥51,150
(¥46,500 税別)
お問い合わせ
buy nichifuru l
buy amazon l


第2回 配本
2018.11 刊行済

ISBN 978-4-89253-627-4

37 ~ 48号
49 ~ 60号
61 ~ 72号
73 ~ 79号
1948年7月1日~1948年12月15日
1949年1月1日~1949年6月15日
1949年7月1日~1949年12月15日
1950年1月1日~1950年4月1日
計624頁
計562頁
計618頁
計520頁
¥76,450
(¥69,500 税別)
お問い合わせ
buy nichifuru l
buy amazon l


『アメリカ映画』 アメリカ映画研究所/編集=キネマ旬報同人

1~21号   1946年11月1日~1948年10月

『キネマ旬報』の別動隊としてアメリカ映画に特化した月刊誌。飯島正を編集兼発行人として発行された。発行元は便宜的にアメリカ映画研究所となっているが、実質的にキネマ旬報発行といえる。GHQ占領政策に沿って発行。「アメリカ映画によって日本人を民主化する」ことを目的とした。


第3回 配本
2019.11 刊行済

ISBN 978-4-89253-635-9

1 ~ 11号
12 ~ 21号
1946年11月1日~1948年1月20日
1948年2月20日~1948年11月20日
計459頁
計440頁
¥35,200
(¥32,000 税別)
お問い合わせ
buy nichifuru l
buy amazon l


『映画春秋』 「映画春秋社」/編集 = 「キネマ旬報」同人

1~34号   1946年8月1日~1950年4月10日

『キネマ旬報』から派生した映画論壇誌、編集は北川冬彦、飯島正。編集部所在地が『キネマ旬報』と同一であり、実質的にキネマ旬報発行といえる。本家『キネマ旬報』よりも芸術としての映画にフォーカスした形で、「失はれた映画芸術の復興、映画芸術精神の新たなる喚起」ことを使命と謳っている。


第5回 配本
2021.5 刊行済

ISBN 978-4-89253-646-5

1 ~ 5号
6 ~ 11号
12 ~ 18号
1946年8月15日~1947年3月15日
1947年4月15日~1948年2月10日
1948年3月10日~1948年9月10日
計476頁
計538頁
計536頁
¥46,200
(¥42,000 税別)
お問い合わせ
buy nichifuru l
buy amazon l


第6回 配本
2021.9 刊行済

ISBN 978-4-89253-647-2

19 ~ 25号
26 ~ 30号
31 ~ 34号
1948年10月10日~1949年7月10日
1949年8月10日~1949年12月10日
1950年1月10日~1950年4月10日
計548頁
計512頁
計476頁
¥51,150
(¥46,500 税別)
お問い合わせ
buy nichifuru l
buy amazon l


お問い合わせ

カテゴリー一覧へ