豊富な写真と、米軍サイドから見た
一級の戦中・戦後史資料沖縄戦,本土決戦,原爆,ポツダム宣言受諾経過,東條自殺未遂直後の写真,天皇の写真等々。
STARS and STRIPES
【Pacific (Mid Pacific) Ocean Areas】
14th.,May, 1945 – Jan.30th.,1946 (all published)
スターズ アンド ストライプス
1945-1946, Hawaii
製 本 構 成
Volume 1 |
Nos. 1 – 42 |
May 14th. – June 30th.,1945 |
Volume 2 |
Nos. 43 – 80 |
July 3rd. – Aug.14th., 1945 |
Volume 3 |
Nos. 81 – 120 |
Aug.15h. – Sept.29th., 1945 |
Volume 4 |
Nos. 121 – 159 |
Oct.1st. – Nov.14th., 1945 |
Volume 5 |
Nos. 160 – 197 |
Nov.15h. – Dec.31st., 1945 |
Volume 6 |
Nos. 198 – 222 |
Jan.2nd. – Jan.30th., 1946 |
A3-Size Cloth-Bound |
All published |
approx.1,800 pages |
A3版 中性紙使用 全6巻 分売不可 クロス装製本 定価 ¥180,000 + 消費税
2008年6月23日刊行 ISBN978-4-89253-398-3
パンフレットがございます。 ご請求ください。
(企画: 榕樹書林 協力:琉米歴史研究会)
【STARS and STRIPES】 刊行についての推薦文
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『スターズ・アンド・ストライプス』(中部太平洋版) の復刻刊行によせて |
琉球大学名誉教授 大田 昌秀 |
この度、沖縄の榕樹書林と東京の文生書院がタッグを組んで『スターズ・アンド・ストライプス』紙太平洋版の第一巻第一号から「中部太平洋版」第一巻第ニニニ号までを復刻刊行することを知り、私は我が事以上に喜んでいる。
それは他でもなく、私は後の「星条旗紙・沖縄版」とは公式的にも個人的にも縁があり親しい関係があったからだ。
公式的というのは、私はアメリカ・ニューヨーク州のシラキュース大学大学院でジャーナリズムを専攻した。そのため、一研究者としてこの「スターズ・アンド・ストライプス」紙には、人並み以上の強い関心を抱いていた。ちなみにこの新聞との絡みで戦後、自宅で「ウィクリー・オキナワタイムズ」という英字新聞を発行したこともあった。
星条旗紙の「太平洋版」は、米太平洋方面陸軍総司令部情報教育部が発行したもので、軍事関連の正確な情報を米軍に提供することによって、いかなる事態に対しても米軍が即応体制を取れるようにすることを主目的としていた。私は、東京港区六本木にある本紙の東京本社だけでなく、アメリカの総本部を訪ねたこともあるからだ。
また個人的つながりというのは、畏友の宮城悦二郎君(琉大教授)が、アメリカ留学から帰国後、十数年間もこの『スターズ・アンド・ストライプス』「沖縄版」の記者を勤めていたのを、日本復帰にさいし、琉球大学に招いて教官になってもらったほか、沖縄支局長のジム・リー氏とも一緒に飲んだり交流があった。加えて戦時中の私のクラスメートで無二の親友の古波津里周君が長年にわたって瑞慶覧で本紙の各部隊への配達を一手に引き受けていたので、しばしば事務所を訪ねたりしたからである。三人とも今では鬼籍に入っているけれども、『スターズ・アンド・ストライプス』と聞くだけで、三人との温い友情が懐しく蘇ってくる。
『スターズ・アンド・ストライプス』紙は、米軍の準機関紙であっただけに在日米軍の重要なニュース・ソースとして、またさる沖縄戦の渦中から敗戦直後あたりの沖縄の実情を知る上でも、私にとってはこの上なく貴重な研究資料である。米軍の準機関紙だけに沖縄の人々の立場から紙面を見ると、時に違和感を覚えることも少なくなかった。が、逆に米側の占領政策や対住民観などを知る上での資料価値は、むしろそれによって高まっていたと言えなくもない。
その意味で、今回の復刻版の刊行は、きわめて時宜に叶い、沖縄はむろん今後の日本のジャーナリズム研究の深化にとって、大いに意義深いと心から歓迎する者である。 |
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占領期「租界」日本のメディア |
早稲田大学政治経済学部教授 山本武利 |
私が『スターズ・アンド・ストライプ』に初めて接触したのは、20年ほど前に占領期の紙芝居を調べているときであった。GHQの内部文書によると、“自転車の上のシアター”に押し寄せる子供の情景を伝える記事と写真をスクープしたのはこの新聞であった。そうすると連鎖反応のように各紙が紙芝居人気を伝えた。東京に駐在している各国特派員が同紙を引用しつつ、海外へそのユニークなメディアの存在を伝えた。私は1947年2月の同紙の元の記事を探しながら、その新鮮で、幅広い記事や写真の存在に驚かされた。
『スターズ・アンド・ストライプ』は日本駐留のアメリカ軍の兵士、軍属やその家族のための陣中新聞であったが、軍の公式な情報紙であり、宣伝紙でもあった。それへの接触は日本人には制限されていなかった。しかし日本人の耳には日本全土のはりめぐらされた進駐軍の中波ラジオはいやでも入ってきたが、活字の同紙を手にする者は軍の出入り業者や生きた英語を秘かに学ぼうとするごく少数であった。
『スターズ・アンド・ストライプ』は占領期のメディア空間のなかで独自な報道機能、ジャーナリズム機能を持っていた。一般紙は厳しい事前検閲をかけられ、GHQの意向に沿った報道しかできなかった。また『ジャパン・タイムズ』のような英字新聞もプレスコードの制約に縛られていた。比較的自由な取材ができるはずの各国特派員は日本語が弱い上に、人数が少なく、彼等の取材範囲は限られていた。こうしたメディア状況下で比較的自由な立場で、アメリカ人の目で、占領期日本の動きを捉える報道を行ったのはこの新聞であった。
当時は日本全土がアメリカ人軍の基地であった。それどころか日本はアメリカに支配された「租界」であった。『スターズ・アンド・ストライプ』はその特殊世界に育った影のような周縁的メデイアにすぎないとの印象があろう。だが本紙をめくり、その機能を調べれば、紙芝居報道に見られるように、占領期のメディア・情報ネットワークの中で重要な位置を占める無視できないメディアであることが分かる。 |
【STARS and STRIPES】太平洋版星条旗:解説 吉田健正著
目 次 |
「米軍日刊紙」として発行 |
戦勝ムード |
対日本本土侵攻のための沖縄戦 |
「沖縄戦終わる」 |
相次ぐ日本各地への爆撃 |
琉球占領軍司令官はニミッツからマッカーサーに |
降伏か徹底的破壊かを迫った最後通告 |
原爆投下とその反響 |
ソ連が対日参戦 |
「国体護持」を主張する日本に追い討ち攻撃 |
号外“Peace!” |
占領軍が無血上陸 |
マッカーサー総司令部を設立 |
占領軍兵士の目に映った敗戦国日本 |
東条の自決失敗、「戦犯」指名手配 |
「甘い」占領政策への批判とマッカーサーの反論 |
天皇、マッカーサーを訪問 |
民主化政策 |
極東軍事裁判への準備 |
東西冷戦の暗雲 |
モスクワ外相会議 |
真珠湾攻撃の責任 |
軍隊内の人種差別問題 |
除隊・帰国 |
米軍統合 |
著者紹介 |
本文はPDFでこちら (A4 20p. 2.1MB)
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