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そのほか

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「タツオ」としてよみがえる 川崎賢子


 toda戸田桂太『東京モノクローム 戸田達雄・マヴォの頃』

 

 

「タツオ」としてよみがえる

 川崎賢子

 

 戸田達雄についてあれこれ読んだ時期がある。二〇〇二年に上梓した『岡田桑三 映像の世紀——グラフィズム・プロパガンダ・科学映画』(原田健一と共著、平凡社)の調べ物をしていた頃のことだ。

 岡田桑三は、一九二二年から二四年にかけてベルリンに留学している。先に帰国し芸術集団マヴォを牽引した村山知義とはベルリン時代からの知己であり、一九二五年九月には、村山知義、吉田謙吉、岡田桑三が、心座の公演の舞台美術を手がけている。心座には、社会運動としての東大新人会の人脈と、美術のアヴァンギャルドのマヴォや三科の流れが合流し、旧劇の運営にあきたらないものをおぼえていた河原崎長十郎や、築地小劇場の女優・村瀬幸子らの演技者がこれにくわわった。岡田桑三は、マヴォの運動の周辺にいて、深く関わりはしなかったが、おそらくそのころ戸田達雄と知り合っているはずだ。

 その後、岡田は俳優・山内光として一九二六年に日活からデビュー、一九二八年には松竹に転じ、二枚目として銀幕で活躍する。プロキノを支援しつつ、対外文化宣伝に関心を深め、一九四一年、陸軍参謀本部肝いりで東方社を設立、ソビエトの対外宣伝誌『建設のソ連邦』の向こうを張って多言語の対外宣伝誌『FRONT』を制作するなど、振幅の大きな半生を送った。岡田と戸田達雄との関係がいっきょに深まるのは、敗戦、GHQ占領終了後の一九五二年八月に出版された『天皇と生物採集』(イヴニングスター社)である。岡田桑三が仕掛け、いわば戦後の生物学者としての昭和天皇イメージ形成にあずかることになった一冊の絵と文を、戸田達雄は担当した。戦時中『鳥と巣』(大和書店、一九四一)、『渡り鳥』(岩波書店、一九四一)などの出版で戸田と組んだ鳥類学者の内田清之助も『天皇と生物採集』に参加している。戸田は精密な肖像画、写生図を提供した。たしかなデッサン力と観察眼がうかがわれる巧緻な図像である。長男の戸田祥一郎氏は、一九五四年に岡田が設立する科学映画の制作会社である東京シネマを経て、アイカムで活躍する。

 このたび公刊された『東京モノクローム』の著者戸田桂太氏は、戸田達雄の四男にあたるという。桂太氏もまた、ドキュメンタリーのカメラマンとして、映像の仕事にたずさわっていらしたとか。副題は「戸田達雄・マヴォの頃」で、わたしはつい先をいそいで意想奔逸になってしまったが、本書はじっくりとマヴォとその時代の戸田達雄の軌跡をたどっている。

 本書に描き出されるモノクロームの都市空間を彷徨うのは、「タツオ」と呼ばれる、若き日の戸田達雄である。一九二三年関東大震災の日に、十九歳の彼は、ライオン歯磨きの広告部画室に所属し、勤め先の「丸の内ライオン宣伝所」(ショールーム)の女性を向島の自宅に送り届けたのち、猛火に帰路を閉ざされて綾瀬の先での線路上で夜を明かし、翌日巣鴨にたどり着く。震災後にあがった火の手が、風向きの変化とともに方向を変え、とぐろを巻くようにぐるりと市街を焼き払っていく九月一日。翌日には戒厳令の出た焼け跡の街を、群衆の狂気や暴力を底流にひそめた不穏な空気のなか、本所の先をめざす避難民の群れにさからって、タツオは市内に帰ったのである。戸田達雄とマヴォの芸術家たち、ダダイストやアナキストとの交友の深まり、その原点を、本書は関東大震災の体験に求めている。

 関東大震災という自然災害、火災、そして自然災害への対処としては異例の戒厳令の発動と詩人や思想家、在日朝鮮人の虐殺という体験は、新興芸術、モダニズムとマルクス主義、アナーキズムの交錯するマヴォのひとびととその表現に、影を落とさずにはいなかった。本書は、戸田達雄が広告会社「オリオン社」を創設し、一九三〇年に二十六歳で結婚するまで、一九二〇年代、それも二〇年代前半、震災後、大正末期から昭和初頭にかけての、濃密な時間のなかに自在にわけいり、ひとびとの具体的なことばとからだが紡ぎ出した表現の真相をきりひらいてみせる。

 文学表現や、雑誌メディアの研究が昭和モダニズムに着目しはじめた一九九〇年前後には、日本におけるモダニズムの尖鋭化、その頂点は震災からの復興と東京のモダン都市化とシンクロする昭和初年の一九二七年頃かと、いわれたものだった。が、近年、むしろ昭和のモダニズムと一九一〇年代のアーリーモダンからの連続と切断の諸相に対する関心が高まっている。とくに3・11後、大震災という自然災害の傷と、原発事故という科学技術の限界と、その恐怖に耐えかねている大衆の狂気と、それらを利用して表現者の自由を抑圧しようという動き等々、マヴォとその時代が現代に通じるところは少なくないと痛感させられる。「無鉄砲」と書いて「アナキスト」と振り仮名をふりたくなるような芸術家たちが、暗い時代をどのように生きたのか、どのようにも生き得たのか、野垂れ死にという自由もありえたのか、そのことを知るのは、現在のわたしたちにとってかすかな希望でもある。

 本書に続いて戸田達雄『私の過去帖』の復刻も決定したとのこと。とても楽しみだ。

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