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BUNSEI SHOIN CO.,LTD

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文生書院の本

復刻版(キネマ旬報)

監修及編集に当たりて 牧野 守/佐藤 洋

「あらため て昭和戦前期『キネマ旬報』復刻版監修にあたってこの道を 歩む人たちへ 」

(牧野 守 映画評論家)

『キネマ旬報』復刻版監修

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長い空白をへて、今回映画の黄金期と称せられた1920年代1930年代1940年代のモダニズムの時代を、復刻版として埋めつくすことが可能と なった。
『キネマ旬報』の原点は、田中三郎や田村幸彦ら、東京高等工業の学生たちの歩みの中にある。1919年に創刊された『キネマ旬報』は、 彼らが見た映画作品の記録を記したものとして、粗末な数枚立て(見開き4ページ)の印刷物からスタートした。だが、彼らが足で集めた映画の記録が果した役 割は大きい。その記録を、田中らは作品紹介や映画批評へとつなげ、映画だけに限らない時代の文化全体に対して働きかけていったのである。後世の我々から見 れば、それは当時の時代状況の貴重な記録ともなっている。

今回の復刻をもって、戦前の『キネマ旬報』の復刻は完結する。当時の貴重な記録から、ますます詳細で実証的な映画史研究が展開していくだろう。たと えば、日本を含めたアジア全体において映画が果した役割などは、近年とみに注目を集めつつあるテーマだが、韓国映画の父、羅雲奎(ラウンギュ)の自作自演 の処女作『アリラン』など、アジア映画界の貴重な記録は当時の『キネマ旬報』にこめられている。

だが、30年近くにわたって日本映画史研究の基礎的文献資料を復刻再版してきたわたしが、いま問題として提起すべきなのは、当然述べられるべき豊か な各論への期待ではなく、これからの総合的な展望だろう。戦前の『キネマ旬報』の復刻は完結するけれども、新しい問題はこれからなのである。
ふ りかえれば、わたしが復刻版の再版に乗り出したのは、1980年代に入ってのことであるが、そこにこめた意図は、激動の近現代史のまっただ中にあって、 もっと確実な議論の場を構築したいということに尽きた。そもそも、映画運動や映画理論、映画論壇が、アヴァンギャルドやニュードキュメンタリーといった様 々な動向の登場を受けて揺れ動いていた1960年代に、わたしは日本映画史の研究、日本映画史研究の基礎的文献資料の蒐集に取り組みはじめた。各地の古書 店や図書館を歩いて回り、分散して散逸しかけていた映画文献資料を少しずつ蒐集していった。その歩みの中には、安保闘争、ベトナム戦争、万博、高度経済成 長、その時々の時代の問題に対応しながら、映画史の再発掘・再構築を通じて、もっと確実な議論の場を形成したい、という願いがあったことに今気づく。現代 の問題の原点へと回帰し、その原点を網羅的に復元することで、簡便な物語で塗り固められがちであった、映画史のイメージを再構築したかった。その時々に思 いついたように現れる言説で議論するのではなく、もっと確実で共有された知識やデータにもとづいて、自分たちのコミュニティーについての議論が深まってい くことを意図していた。蒐集の歩みは、自然と、蒐集した映画文献資料をパブリックなものとして共有する、復刻版の事業へと結びついていった。

わたしが復刻版作業にこめた意図は完全には実現できていない。だが、現代の問題に対して原点に回帰し、徹底的に考え直すという姿勢で事業に取り組ん できたことは、今ここではっきりと伝えておきたい。そのような姿勢をもって映画史に向き合うことは、現在の自分自身が映画史をどう認識するかが問われるこ とにつながってくるからだ。ある特定の問題についてだけではなく、なぜあなたはその問題を、そのようにとらえるかが問われてくる。そこで、実証的なデータ にもとづいて、個々の各論を深めていくだけではなく、その問題意識を大きな意味での時代認識につなげることが、総論的な広い視野が必要なのである。
映 画監督伊丹万作は述べた。「歴史は単なる過去ではない。歴史はそのまま現在でもあるのだ。なぜなら歴史は神が作るものではなく、人間が作るものであるから だ」。これから、過去の映画人たちの営為がいかなるものであったかを再検証し、彼らの活動をどう継承するかがますます問われてくるだろう。映画史の再発掘 と再構築が新しい世代の手で行われていくことは、想像するだけでとても愉しい。田中三郎ら『キネマ旬報』の歩みを、古書店や図書館をたんねんに巡ってたど り直してきたわたしたちの歩みが、また新しい世代によって歩まれるのである。この道を歩んでくれる人に、この『キネマ旬報』の復刻版をエールとして贈りた い。

seo masaoka

 


 

「昭和戦前 期『キネマ旬報』復刻にあたって」

佐藤 洋 (映画評論家)

『キネマ旬報』復刻版編集

192910

今回対象とする1927~1940年のいわゆる昭和戦前期『キネマ旬報』の復刻によって、戦前に発行された『キネマ旬報』は、その全てが復刻再版さ れることとなる。つまり、創刊の1919年から1926年の大正期の復刻は雄松堂から、雑誌統制によって『映画旬報』と改称された1941~1943年の 時期はゆまに書房から復刻がすでに再版されているので、その間の期間を埋めて、『キネマ旬報』の戦前の全貌が甦る。

『キネマ旬報』といえば、日本の映画批評の型をつくり、また映画作品・映画企業の分析記録においても、映画業界の羅針盤と呼ばれる程の信用を確立し た雑誌である。特に今回復刻する249号から735号までは、『キネマ旬報』の黄金時代と称する向きがあるほどに充実した誌面を誇っている。そこには、サ イレントからトーキーへの映画全般の変化の時期が記録され、ニュース映画やドキュメンタリー映画が人びとの暮らしの中に定着していく過程も、誌面から手に とるようにわかる。それらは現在の映像環境の一つの原点でもある。
映画作品に目を向けても、ディズニー、フライシャー兄弟らによるアニメーショ ンが、日本のアニメーターを刺激し、今日の日本アニメーションにつながるうねりが形成されるきざしは読みごたえがある。伊藤大輔から山中貞雄への時代劇映 画の革新は、大河内伝次郎、嵐寛壽郎らスターの姿に裏打ちされて、見ているだけで躍動感に心が躍る。スターといえば、豪華な折り込み広告とともに紙面を彩 るのは女優たちだ。ルイズ・ブルックス、ガルボ、ディートリッヒ、原節子らの姿は、当時を知る人の記憶を呼び覚まし、新しい世代は誌面や広告のモダンなデ ザインにも想像力を刺激されるだろう。
当時は、ルネ・クレールからルビッチ、ヴェルトフにいたる欧米露の輝かしい映画人が新作を封切り、エイゼ ンシュティンの論考を待ちわびる時代である。つまり今はもう巨匠として、ともすれば神話的に語られがちな小津、溝口、成瀬のような映画人たちが、若き青年 として生きて仕事をし、それに同時代人として向き合う時代の息吹を、『キネマ旬報』は、その息づかいまで記録してくれているのだ。
もちろん、今 回復刻する時期は日本にとっては戦争の時代でもある。戦争と映画が密接な関係を結んでいることは、映画表現にも映画批評にも、映画法などの法制度にも読み とれる。朝鮮や中国などの映画作品や映画業界とのふれ合いも記録され、それらはアジア映画の動向を知る貴重な資料なのだが、戦争との関係は忘れられない。 紹介してきたような華やかな誌面を読みこんでいくと、華やかなだけではないそんな時代のあり様もしっかりと『キネマ旬報』はとらえている。

これらの記録的価値をそなえた『キネマ旬報』は、映画史研究の最重要基本文献である。しかし、国内外で実証的な日本映画史研究が活発化しているにも かかわらず、戦前の『キネマ旬報』を揃いで所蔵した機関は皆無だ。今回の復刻の大きな狙いは、この現状にあらがって、日本映画史研究のさらなる飛躍を願う ことにあるが、復刻された雑誌を新刊として手に取り、紹介してきたような様々な映画状況から想像力をはばたかせてくださる方がおられれば、それもとてもう れしい。 (『週刊読書人』2008年11月21日号掲載記事)

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