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シーボルト旧蔵日本植物図譜コレクション

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丸善株式会社 創業125周年記念出版 (1993年刊)
シーボルト旧蔵日本植物図譜コレクション
SIEBOLD’S FLORILEGIUM
OF
JAPANESE PLANTS
日本を慈しみ愛したシーボルトともに、異国へ旅立った植物図の集大成。
出島の天才絵師・川原慶賀が残した江戸時代のリアルな自然。
触れれば香りたつ、徳川博物図譜の傑作 。
ロシアの聖都に眠っていたシーボルトの植物画コレクション。
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原図所蔵:
ロシア科学アカデミー・コマロフ植物研究所所蔵
(ロシア共和国サンクト・ペテルブルグ市)
監修:木村陽二郎(東京大学名誉教授)
V.グルボフ(コマロフ植物研究所・前植物標本部長)
B3版クロス装丁 全二巻(3冊)および和文解説篇(1冊)
第一巻(2冊) :カラー図譜(原寸大)341図、索引
第二巻(1冊) :モノクローム版(縮尺)1041図、索引
別冊和文解説篇(1冊)
特別価格 ¥300,000-【税別】
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文化8年(1811年)頃、一人の絵師が頭角を現す。出島オランダ商館への出入りを許され、異国の風俗と日本の浮世絵を融合し独自の作風を展開した川原慶賀(1786~1862頃)である。
一方、文政6年(1823年)ドイツよりシーボルトが、日本の文物を調査すべく来日した。日本有用植物の調査も彼の目的のひとつであった。彼は季節毎の花や実の変化を観察し、慶賀らに植物図を描かせた。
元々、長崎の絵師は中国画の影響もあり、写実的な花鳥画を得意としていた。加えて、慶賀はシーボルトが連れてきたヨーロッパ人画家より西洋風の植物画の描き方を学んだ。
さらに彼はこの両者の折衷を超える天才を有しており、学術的な植物画を芸術の域にまで高めることに成功した。慶賀の絵はわずかに紙の幅を変えただけでバランスが崩れてしまうという。それほど絶妙な感覚によって描かれた植物画である。
シーボルトは2度にわたって日本を訪れ、収集した植物原図は1041点にのぼる。彼の死後、それらは遺言により未亡人の手を経てロシア政府に売却された。それらは現在サンクトペテルブルグのロシア科学アカデミー・コマロフ植物研究所に眠っている。
8つの本型の箱に収められたこれらの植物画は、長らく一般にはまったく知られていなかった。
丸善はこれらの中から、慶賀の作品を中心に341図を原寸大のカラー図譜として再現するとともに、モノクロ図版によってコレクションの全貌を明らかにした。
カラー図譜では、川原慶賀、狩野派の流れを汲む清水東谷、川原玉賀らの日本人絵師の植物画から、現代最高の技術の下に直接写真製版、日本人絵師による原図の彩色をそのまま再現することに成功している。
サンプルをご確認下さい(クリックすると拡大できます)。
※ 「ロシア科学アカデミー図書館所蔵 川原慶賀の植物図譜」展
昨年、埼玉県立近代美術館で開催されました。
長崎の絵師、川原慶賀 (かわはらけいが、1786-1860?) は江戸時代後期、日本人の立ち入りが厳しく制限されていた出島の出入りを許され、オランダ商館の求めに応じて、日本の様々な文物を描いた膨大な数の絵画を制作していました。
とりわけ、慶賀は出島のオランダ商館の医師として来日したドイツ人の医師・博物学者、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト (1796-1866) と交流を深めました。日本の自然や生活文化、特に植物に対して強い関心を持ったシーボルトの要求に応えて西洋画法を習得した慶賀は、彼に随行し、長崎や江戸参府の途上で、植物の姿かたちを正確にうつした写生図を数多く描きました。シーボルトがヨーロッパに持ち帰った慶賀や他の絵師による植物図譜のうちおよそ1,000点はシーボルトの死後ロシアに渡り、現在ロシア科学アカデミー図書館に収められています。
慶賀の人物像を明らかにする資料は少なく、その多くの部分は謎に包まれています。しかし植物図譜をはじめ、長崎の風景や人々の暮らしを描いた作品は、この画家が鋭い観察眼と、見たものを生き生きとうつしとる高い技量を持っていたことを物語っています。本展では、ロシア科学アカデミー図書館が所蔵する川原慶賀の植物図譜から125点を紹介するとともに、国内に所蔵されている作品資料を通して、慶賀の眼が何を見つめ、どのようにうつしとっていたのかをたどります。
【パンフレットが出来ております。ご請求ください。】
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- 『シーボルト旧蔵日本植物図譜コレクション』
- 330,000円(税込)
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