日露戦争早期開戦論者を大いに刺激したシベリア鉄道は、もともと1891年ロシア帝国によって正式に建設が決定されました。日本は日清戦争(1894年7月―1895年3月)に勝利したにも拘わらず、三国干渉によって占領地を放棄した結果,露清密約が締結され満州北部の鉄道施設権はロシアが獲得して、同年露清銀行によって「中国東方鉄道株式会社」が正式に発足されました。このお金を出したのはフランスの投資家でロシア政府に4億ポンドが貸し付けられると同時に露仏同盟も締結されました。
1897年にはルートが選定され、東清鉄道本線の[満州里-グロデコヴォ(1510km)]とシベリア鉄道と連結するためにその西側[満州里-キタイスキ・ラズエズト(355km)] のザバイカル鉄道が1901年、1903年に完成されました。更に、1898年旅順大連租借条約が締結されるとハルピンから旅順への南満州支線(772km)が着工され1903年1月に完成されました。
その他、1897年にはウスリ-線(ウラジオストク-ハバロスク)が開通し、1898年には中部シベリア線(オビ-イルクーツク)、1900年にはザバイカル線(ムイソ-ヴァヤースレチェンスク)が開通致しましたが、バイカル湖周辺は難工事が多く建設が困難な為に、本書では船の写真が掲載されております。しかし、大興安嶺トンネルの完成に伴い、1904年2月日露戦争勃発直前になってバイカル湖を除く全線が開通されました。
本書には鉄道建設に伴う、土木、橋梁、トンネル、船(バイカル湖)、線路、駅ばかりでなく都市建設に伴う、建造物、更に文化財、古建築、町並み、中国人の風俗、習慣、生活等々の写真が掲載されております。また鉄道建設に関係したロシア人のポートレイト類も多数含んでおります。特に、大連、旅順、奉天等の写真は豊富に掲載されております。更に、中国人の処刑された現場写真もございます。
全体で206頁にわたり、写真がふんだんにあるだけでなく、各写真にはロシア語によるキャプションが書かれており,要所要所に地図等も記載されております。紙自体は非常に厚手の紙が使用されております。インクは多数の色が使用されており、極く一部セピア系の色は多少見にくくなっておりますが、不鮮明というわけではありません。110年前の印刷にしては鮮明な方だと思います。但し、保存状態が完璧でなかったせいか、タイトルページ等にシミがございます。製本は頑丈でしたが、この本の重量を支えるには心許なく、再製本をし、現状に近いと思われた背クロス製本に致しました。今後のご使用には充分耐え得ると思います。ロシア語に依る検索が困難なために、充分な調査は出来ませんでしたが、弊社で調べた限りでは本書を所蔵されている機関はございませんでした。 |