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BUNSEI SHOIN CO.,LTD

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古書

建築・土木

大同大華厳寺

中国大同市
大同大華厳寺
京都帝国大学教授・工学博士 村田治郎編著
大阪和楽路屋書店 刊行
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第一輯 ~ 第十一輯  揃  (昭和17年10月-18年8月)
コロタイプ印刷 55.5 × 44cm
包には極一部破損あり・但し写真頁[88図頁]は美
第一輯 下華嚴寺薄伽教藏 (一)    昭和17年10月
蒙彊・大同の大華嚴寺はいま上華嚴寺と下華嚴寺とにわかれて、昔の経藏であった薄伽教蔵が
下華嚴寺の本堂になってゐる。教藏の正面は東向きである。
第一圖版 山門内より教蔵を望む(上)教蔵正面(下)
教藏は高い壇上にそびえ、正面五間、入母屋屋根、さほど大建築ではないが、姿は優れてゐる。
第三圖版 教蔵の鴟尾(向左)  
恐らく遼代の形をよく傳へてるるものと思ふ。鴟尾の形態的変遷を知る上に重要な一資料である。
第六圖版 天井の一部
梁の下側に墨書銘あるを注意せられよ。遼代の銘である。
第十四圖版 内部西壁の天宮
教藏内の周壁には藏経用の厨子があり、その上に天宮の模型的殿堂をのせる。
それを天宮壁藏といふ。本圖版はその中の最奥にある殿堂。
第十八圖版 内陣須彌壇上の佛像群
殿内の中央に幅・柱間三間(十七米、高サ半米)の須彌壇を設け、上に三十餘の佛像をまつる。
その佛像群は柱間に從ひ三區分されてゐるので、假に中央區、向左區、面右區と命名する。
第十九圖版 須彌壇中央區の本尊佛像
いまこれを阿彌陀佛と称してゐる。最も確實な遼代佛像である。以下も亦然り。
第二十一圖版 須彌壇中央區の左右列立像二體
各区ともに本尊の前方左右に立像や坐像が十體近くならぶ。これは中央區の二例である。
第二十二圖版 須彌壇中央區左列立像の上半
第二十一圖版の一像の大寫し。本圖集における左、右はすべて木尊に向って左、右の意である。
第二輯    下華嚴寺薄伽教蔵 (二) 昭和17年11月
第十圖版 天宮壁蔵の一部
これは教藏内の南壁の中央にある天宮壁蔵の上部を見あげたところで天宮のうちでも最も重要な
殿である。
第十五圖版 天宮壁蔵の天宮細部二例
北壁中央の天宮における鴟尾と降り棟や軒まはりの細部である。教蔵そのものの鴟尾と、この
鴟尾とを比較していただきたい。
第十六圖版 天宮壁藏の天宮細部四例
四例はともにマス・ヒヂキの組み物を中心にして示したもので、よく似た場所にあるにも拘らす、
それぞれ異ってゐるのを御注意下さい。
第二十三圖版 向左區の本尊塑像 
いまこれを毘盧舎那佛といってゐる。中央區の本尊像と比較すれば、非常によく似てみるが、
光背に多少の差があるのですぐ區別できる。
第二十四圖版 向左區の本尊像上部  
右の本尊塑像の大窮寫し。晝間には電力が通じてみないので、これも徹夜しての撮影になるもの
である。
第二十五圖版 向左區の列立像三例 
右は本尊のすぐ右に立つ像、中央は本尊の左の第二番目に立つ像、左は本尊の右の第二番目に
立つ像である。
第二十九圖版 向左區の列立像一例
本章の向って右列の末端(第三番目)に立つ像の、正面と背面とをここに示した。
この像は頭髪をはじめ背面にとくに異色が見える。
第三十七圖版 天王像二例 
内陣須彌壇の四隅には四天王像が立つ。これは東北(右)と東南(左)との二例である。
第三輯    下華嚴寺海會殿 昭和17年12月
薄伽教藏の東北に海會殿がある。
教蔵は東向きだが、海會殿は南向きで、この寫眞を撮影のころはひどく荒れてゐた。
第四十二圖版 海會殿の外観
上は側面、下は正面、切妻屋根であるが正面の寫眞では、一寸さう見えなくなった。
側面寫眞では、屋根の下部の構造がよく示されてゐるのが特に貴重である。
第四十三圖版 海會殿の内外四種
右上は海會殿を斜から見たところ、右下と左上とは内部の妻壁あたりの構造を示し、左下は正面の
軒まはりを見あげたところである。この建築は細部がすべて非常に簡単なのを特色とする。
第四十四圖版 内陣の格天井  
殿内の中央部を占めた内陣には格天井がおかれてるる。その格間の絵画は何時代のものか、明確に
は断定でき難いが、一つ一つの絵が異ってゐるのを注意したい。
第四十五圖版 格天井の格間絵二例  
右の格間絵の大寫し。
北京宮殿などで見る清代のものに比べて、これはまだ餘程よい出来榮えである。
第四十六圖版 中央本尊塑像 
内陣後方の柱間に壁をきづき、その前に岩窟状がつくり出され、中央に本尊が坐ってみる。
この本尊は薄伽教蔵の佛像にくらべて、少しく異った印象を與へるが、金初を降らない作だらう。
第四十七圖版 脇本尊塑像  
前圖版の中央本尊の左右に、ほとんど同じ姿の脇本尊が各一體まつられる。
三本尊の前方には多くの小儀がならぶが、みな近代の拙作ばかりである。
第四十八圖版 右側の天部像  
須彌壇の右側の端に、辛うじてこの天部が立つ。近ごろ生ま生ましい色をぬりたてて、見るに耐へ
ない像になってみるが、元来はなかなかの力作と思ふ。
第二十圖版 薄伽教蔵・中央區の坐像二例
右は中央區木尊前の左列第二番目の坐像、左は同じ本尊前右列第二番目の坐像である。
第四輯    善化寺 (一)  昭和18年1月
第五十七圖版 善化寺の全景 
これは特に軍の許可を得て、寺内の主要建築の配置がわかろやうに寫したもので、前方(右下)から
天王殿(即ち山門)・三聖殿・普賢閣(左端)・大雄寶殿の順でならぶのが一目瞭然とする。
第六十七圖版 大雄寶殿内・西昼前の天部塑像  
大雄寶殿内の東西の側壁前には、ともに十二體づつの天部の立像がならび、みな異った姿態をし
めし、佛寺の像とは思へないのが多い。近時修補を加へて、手足や衣服の下端、冠などに目ざわ
りになる點が多いが、なほ古調をよく存し、金代を降らない作風らしく考へられる。
ここに紹介するに當り、殿の奥から前方への順にならぶように、圖版番號をつけておいた。
これは面壁の奥より第一(右)第二(左)番目の像である。
第七十一圖版 大雄寶殿内・四壁前の天部塑像
西壁の奥より第八(右)第九(左)番目の像。右の多聞天と思はれる像の掌にある木製寶塔や、両方の
冠、左の像の左手(向って右)などは近頃のものである。
第七十二圖版 大雄寶殿内・西壁前の天部塑像
西壁の奥より第十(右)第十一(中)第十二(左)番目の像。左像の笏は近頃のもの。
近時の修理は右像や左像の下方の彩色がない部分に加へられたのである。
第七十六圖版 大雄寶殿内・東壁前の天部塑像
東壁の奥より第七(左)第八(右)番目の像。
六(腎=>辟+月)像の寶冠、右の武神像の冠と楽器などは近時の附加であろ。
第八十圖版 大雄寶殿内・面壁の佛畫(部分)  
大雄寶殿内の壁には、すべて佛畫が描かれてあったらしいが、近年の修理のときに大半を塗り
つぶし、いま西壁などに一小部分を残すのみである。
第八十七圖版 天王殿の外景二種  
天王殿すなはち山門は、元代ころの建築かと思はれ、善化寺の主要建築のうちでは最も劣るが、
なほ六百数十年前のもので、見のがしてならないものと思ふ。
第八十八圖版 天王殿内外の建築細部
もつとも特徴をよく示してゐゐ部分をここに紹介した。右上の寫眞に見るように内部の四天王像
は最近の修理のため全く古調を失ったのは惜しいことである。
第五輯    善化寺(二) 昭和18年2月
第六十二圖版 大雄寶殿・内陣中央の折上天井 
内陣中央の本尊上方の天井は折りあけ天井になってみる。折りあけと言っても日本建築のものと
は異なり、斗(?)を用みて非常に複雑であり、絵書や彩色もにぎやかである。
これは眞上を見上げたために、平面的な寫眞になったが、凹凸の多い立體的な天井であること
は、第六十四圖版によって察して戴きたい。
第六十三圖版    大雄寶殿・内陣中央の折上天井(部分詳細)  
これは第六十二圖版の一部分がさらに詳しくわかるように寫したものである。
第六十四圖版 大雄寶殿・内陣の佛像群
内陣には五體の大尊がならび、それぞれの本尊に脇侍などが附屬してゐる。その大多数の塑像
は、金代初期を降らない作と思はれる。
第六十九圖版 大雄寶殿・西壁前の天部塑像
西壁の奥より第五(向って左)第六(右)番目の像である。左の像の寶冠は近年加へたものと認める。
第七十五圖版 大雄寶殿・東壁前の天部塑像  
東壁の奥より第五(向って右)第六(左)番目の像であるが、右の像の寶冠と左の像の劒とは近年の
附加と認める。
第七十九圖版 大雄寶殿・東壁前の天部塑像 
東壁の奥より第十一(向って左)第十二番目(右)言ひかへれば南端の二像であるが、これも鎗と笏と
は近頃のものである。
第八十一圖版 普賢閣の外景とその細部
普賢閣は小さな建築であるのみならず、破損甚だしく、内部の塑像など一物も残ってみないが、
細部には遼代の古建築獨特の様式が淺ってみるので、貴重な遺構とされてみる。
第八十四圖版 三聖殿・内外の建築細部
三聖殿といふ名は古来のものでなく、内陣に三本尊がならぶところがら、近代になって名づけた
ものらしい。この建築の年代は明らかでないが元代初期を降るものでなく、たぶん金代末期にち
かいころか思ふ。寫眞の右の上下二種は、複雑な斗(?)の一例を、正面からと、下から見上けた
ところとを示した。左上は外部の隅のあたり、左下は内部の隅の邊の斗(?)などを見たのである。
大雄寶殿や普賢閣の細部と比較して、年代の異ることを味って戴きたい。
第六輯    下華嚴寺薄伽教蔵 (三) 昭和18年3月
第四圖版 内外の建築細部 
上圖は外部の柱の上方からノキまはりの間を示し、下圖は内部の斗栱と天井との細部を明らかに
して、遼代の特色がわかるやうにした。
第八圖版 天宮壁蔵(東北隅)  
教蔵内の東北隅における東壁の部分の天宮壁蔵、これでは下から上まで全部の姿が示されてを
り、高欄の組子の一々變ってゐるところなど、細部をみてゆけば非常に教へられるところが多
い。上層の像や額は親しいものである。
第九圖版 天宮壁蔵(南壁)  
南壁全部にわたる天宮壁蔵のうちの主要部分である。
南壁は第八圖版などと比較すれば、斗栱などに少しく調子の違ったところが見える。
第二十六圖版 内陣左區の小塑像  
内陣須彌壇上の佛像群中、向って左區の本尊前方に、小児が蓮座上に坐つた塑像が二つあり、
ともに愛すべき出来榮えである。池上に出た莖が蓮華座を支へてるるところも、寫眞に入れた
かったが、坐像が小さくなるので上半のみ紹介した。
第二十七圖版 内陣左區の側方坐塑像 
左區の向って左列の、本尊より第三番、すなはち四天王像の奥隣にある坐菩薩像。
第二十八圖版 内陣左區の前方坐塑像  
左區木尊の最前方にある坐佛像は、小さいから現場では人目をひかないが、寫眞にしてみると
優れた像であることがわかる。
第四十圖版 内陣坐塑像の蓮座
諸像の蓮華座には、時に近代の修補が加はつてゐるが、なほ大部分は遼代のおもかけを傳へ、
すぐれた技巧を存する。本寫眞はかゝる一例を示す。
第四十一圖版 内陣坐塑像の蓮座(部分詳細)
蓮辮の一枚一枚に現した佛像の二例をかゝげた。佛像の線がもりあがってをり、その姿と背光と
には五代・北宋の様式と相通するものが見られる。
第七輯    善化寺 (三)  昭和18年4月
第五十八圖版 大雄寶殿の外景二種  
大雄寶殿は遼代にはじめられ、金代初期に大重修をうけた建築と認められるが、鴟尾などは近代
になって改められ、殿そのものもすでに倒壊の一歩前にある。
この雄大な古建築を見た人は、いつまでも保存したいと誰しも思はれるに相違ない。
第五十九圖版 大雄寶殿・外部の建築細部  
建築の細部、とくに色彩のはげた古建築のそれが、多くの人々の興味をひかないことを知り乍ら
も、いつ消えてなくなるか知れない老大建築を、永く記録にとどめたいばかりに、ここに三圖版
を費すことにした。
下圖右の瓦のうちには、なほ遼金代の特色を示すものが含まれてゐるのである。
第六十圖版 大雄寶殿・内部の建築細部
第六十一圖版 同上
いづれも特色のある上方の構造を示した。
斗栱のごときは彩色こそないが、下華嚴寺のそれと相通すみところが多い。
第六十六圖版 大雄寶殿・脇侍立像
内陣の五本尊にはそれぞれ脇侍立像があり、それには菩薩像と僧(比丘)像とがあるので、ここに
三體を掲げた。
第七十圖版 大雄寶殿・西壁前の天部塑像  
東西ともに十二の天部がならぶが、その中央に六(辟月)の像がおかれ、とくに珍しく且つ優れ
た作品である。明代のこの種の像では、    西のを日宮大陰尊天とよんでゐる例がある。
第七十四圖版 大雄寶殿・東壁前の天部塑像
奥より第三(左)第四(右)番目の像、左像の笏は新しい。
第七十八圖版 大雄寶殿・東壁前の天部塑像(部分)
奥より第十番目の像の大寫しであり、笏は新しいが、すぐれて美しい女神像と思ふ。
明代の名称によれば、大辯才尊天にあたるかとも思ふ。
第八輯    下華嚴寺薄伽教藏 (四) 昭和18年5月
第二圖版 教蔵の側面と山門外よりの全景
これと圖版一とをあわせ見れば、寺の現状があらまし察せられよう。
こゝに山門としたのは、本来の山門の位置のものでなく、寺の前半が清末から學校とせられたた
め、こゝに小さな山門を新設したものらしい。海會殿は低くて見えず、教職のみが高くそびえて、
寺の大部分を占めてみるかに見える。
しかもその教職の美しい輪郭線を味ふためには、側面の姿を見のがしてはならないと思ふ。
第七圖版 内陣の天井(部分詳細)  
天井の格間に描いた天人の姿は、すべて一様でないが、こゝには二例を示した。圖版の下半を占め
た天井文様は、八角折りあげ天井の一部分であるから、右を下にして見て下さい。
第十一圓版 天宮壁蔵(北壁中央上部)  
天宮壁蔵は南北及び西の三方の壁の中央のところに、とくに立派な宮殿風の建築があるので、その
北壁の中央部をこゝに大きく出して見た。
南壁のそれとよく似てゐて、しかも多少異なったところがあろ。
第三十二圖版 内陣右區の小塑像 
第二十六圖版に近似すゐ小さな塑像である。この種のものは内陣の向って右と左との二區だけで、
中央區にはない。左圖の右手は缺失してゐる。
第三十一二圖版 内陣右區の列立塑像  
正面に向いてゐるのは向って右區の立像だが.背面を見せてみる二體は中央區の像である。
第三十六圖版 内陣の列立塑像
三本尊の両側ちかくには僧體(比丘)の立像が立つので、それを三例示した。
これは中央區(中)一例、右區(右と左)二例である。
第三十八圖版 内陣中央區の本尊光背飛天像  
本尊の光背のうち、飛天像がついてゐるのは、中央區だけである(第十九圖版参照)
この飛天像を第七圖版の天井絵と比較して戴きたい。
第三十九圖版 内陣中央區の本尊蓮座  
本尊像のすわる蓮華座の美しさを示した。
蓮辮ごとに見える佛畫を第四十圖版、第四十一圖版とともに味はれたい。
第九輯    善化寺 (四)  昭和18年6月
第六十五圖版 大雄寶殿・内陣中央の本尊塑像
正面の内外陣の境の上部に、近年紅布をたれたために、諸像の撮影が非常に困難になった。これ
は五本尊のうちの中央にあたる像であるが、紅布のために右の脇侍は頭部がかくされて了つた。
第六十八圖版 大雄寶殿・西壁前の天部塑像  
奥より第三(右)第四(左)番目の像、右像の笏と左像の剣とは近年つけたものである。
第七十三圖版 大雄寶殿・東壁前の天部塑像
奥より第一(左)第二(右)番目の像、左像の笏・右像の鎗はともに新しい。
第七十七圖版 大雄寶殿・東壁前の天部塑像
奥より第九(左)第十(右)番目の像、これも剣と笏とが新しい。また左像の寶冠も近年の附加である。
第八十二圖版 三聖殿の外景二種
三聖殿の建築については前に述べたが、時代は大雄寶殿などより少し後であっても、これを
明・清の建築にくらべれば、なほ雄大なところが失はれてるない。鴟尾は上半が缺失してゐる。
第八十四圖版の細部の位置を、これによって見ていただきたい。
第八十三圖版 三聖殿・外部の隅の建築細部
隅の斗栱の複雑さを、正面からと下から見上ぴたところとで示した。見上げた方の寫眞は、
建築が違ふのではないかと思ふほど、正面から見たのと感じが變ってくるのに驚く。
第八十五圖版 三聖殿・内部の建築細部  
三聖殿の内部は近年になって彩色したものであるから、寫眞には都合がよくなつたが、佛像など
は生ま新しくて見るに耐へないものに變つた。これは斗栱附近を中心にした寫眞であるが、
これによって上方の構造や装飾が、かなりよく察せられる筈である。
第八十六圖版 三聖殿・佛像と内部の建築細部
殿内の三本尊のうち、中央のものは金色の佛像であるのに(右上圖)、左右のは白身紅衣で女像の
ように見える(左圖)。左圖の尊像の寶冠は近年の附加であらう。
第十輯    下華嚴寺薄伽教藏 (五) 昭和18年7月
第五圖版 内陣天井(重熈七年銘) 
内陣の梁に「維重熈○年歳次戊寅玖月甲午朔拾伍日戊申午時建」の銘があり、これによつて薄伽教
藏の年代が明確になる。第六圖版に示す梁はこの梁の北にあり、建設者を明かにする點で貴重だ。
第十二図版 天宮壁蔵(北壁中央上部) 
第十一圖版の上部をさらに下から見上けて、細部を詳しく紹介した。上圖の複雑な斗栱は南壁の
天宮に見ないものであり、上華嚴寺大雄寶殿の斗栱と比較して戴きたい(第五十二圖版)。
第十三圖版 天宮壁蔵(西壁中央部)  
須彌壇後方の中央上部にある天宮、両端に虹彩の橋をかけ、天宮中の最も主要な宮殿であみ。
第十四圖版と同一宮であるが、撮影の方向と高さとが異なる。
第十七圖版 天宮壁蔵(細部集)  
上層の隅の斗栱や下層の入り隅の斗栱、及び西壁中央の天宮下部の見上け(右下)などの細部を示し
た。この種の寫眞はさらに多く寫してあるが、あまりくどくなるので此の程度にとどめた。
第三十圖版 内陣右區の本尊塑像 
向って右區の本尊像は、蓮座の蓮辯が修理されてゐるのと、光背の上部に薪江な手を入れてみるの
が目につくが、像そのものはよく古い様式を傳へてゐる。
第三十一圓版 内陣右區の列立塑像
本尊の向って左列第二番目の像(左圖)と右列第二番目の像(右圖)とである。
こゝの諸像の配列は左區と全く対照的になってみる。
第三十四圖版 内陣右區の側方坐塑像 
本尊より第三番目の坐像、第二十七圖版における左區の像と對照的位置にある。
左方に薄く次の第三十五圖版の像が見える。
第三十五圖版 内陣右區の前方坐塑像 
本革の最前方に坐す小形の佛像、これは第二十八圖版における主題の像と對照の位置を占める。
第十一輯    上華巖寺大雄寶殿  昭和18年8月
第四十九圖版 大雄寶殿の外景二種
上圖は寺外から、大雄寶殿を主としての上華嚴寺外景である。上華嚴寺は下華嚴寺より土地がす
こし高い上に、その大雄寶殿はとくに一際高い壇上に聳え立ってゐる。文字通り雄渾無比の大建築
と言ってよい。下圖は山門を入り、壇下から壇上の大雄寶殿を見上けたところ。
第五十圖版 大雄寶殿の正面と細部 
上圖は壇上にあがって大雄寶殿の東正面を見たところ、下圖は隅のところの斗栱や屋根の細部で、
このあたりは下華嚴寺の薄伽教蔵に類する點が多い。
瓦はどうも少し後のものらしく、遼代または金代の瓦と違ってみる。
第五十一圖版 鴟尾 
この鴟尾は薄伽教蔵やその内部の天宮の鴟尾にくらべて、柔らか味を缺ぎ、どこまでも雄勁で堅
い。しかしやはり遼金代を降らない優秀な作例と見てよからう。
第五十二圖版 内部の斗栱二種 
ここに示す二種の斗栱は、ともに正面の内側上部にある。上圖は肘木が三、下圖は二であり、交互
に配置して天井附近を賑やかにずる。
第五十三圖版 内部の建築細部
大雄寶殿は建築だけが遼代の遺構と思はれ、佛像には見るべきところが少いので、建築上の特色を
しめす部分を多く示しておいた。薄伽教藏にくらべて、斗栱などの細部が撮影しやすいからでもあ
る。壁畫は清朝末期に描いたもので、非常な大作ではあるけれども、観賞すべきところは無い。
第五十四圖版 内部の建築細部
右圖は外陣の隅の天井を見上げたところ、左圖は外陣の壁から天井あたりの寫眞。
これによって斗栱などの形ばかりでなく、構造方法なども察せられよう。
第五十五圖版 内陣の佛像群 
内陣の五本尊のうち、三つの青銅佛は明の宣徳二年(紀元二○八七)に北京より迎へたものであり、
二つの塑像はその後間もなく加へたものだから、いつれも明代初期の作である。
第五十六圖版 側壁前の天部列像
善化寺大雄寶殿の側壁前における天部像に似たところはあるが、これは餘程年代が降るらしい。
見るに足らぬ作かも知れないが、近代の天部群像の一例としてここに加へた。
  • 『大同大華厳寺』
  • 1,650,000円(税込)

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