Loading...

BUNSEI SHOIN CO.,LTD

サイト内検索※webshop商品は検索対象外








【年末年始についてのお知らせ】12月28日(水)から1月5日(木)までのご注文は、1月6日(金)より順次在庫のご案内および発送をさせていただきます。
 遅れが生じますこと、深くお詫び申し上げます。期間中は何かとご迷惑をお掛けいたしますが何卒ご了承の程お願い申し上げます。

文生書院の本

復刻版(初期在北米日本人の記録)

四人書生 [漫画]

 

 

2011Cover

漫画四人書生 (新組) 解題・年表付
Four Immigrants and Students Manga
「初期在北米日本人の記録」第三期:刊行番号132
〔ヘンリー木山義喬 著〕/ ISBN978-4-89253-423-2
¥6,600 (本体)

 

[]

第一部:
新序文         i
目次          iii
元表紙         iv
本文          1
元奥付        113        

第二部:
* 『漫画四人書生』と「ヘンリー木山」の跡を追う    Frederik L. Schodt                    115
* マンガによる「北米移民史」の冒険    小野耕世   130
* あとがき    Frederik L. Schodt   
156    
* Henry Kiyama and Manga Yonin Shosei, or the “Four Students Manga”    Frederik L. Schodt 159
* 木山義喬関係年譜抄 (右綴)    木山家・奥泉栄三郎    176

地図:
1] 1915年当時のサンフランシスコ市街図 (color)
2] 根雨地区図(アメリカ陸軍1945年作製)(color)

別冊:『漫画四人書生』和文脚注(全17頁)    Frederik L. Schodt

 

ヘンリー木山義喬原著
『漫画四人書生』ふたたび

私共は平成15年(2003年)に『初期在北米日本人の記録』の企画・出版を開始して以来、全109巻135タイトルを電子復刻して来ました。現在は第三期分に取り組んでおり、月単位で成果を出しております。この過程で、私共に跳ね返ってきた国内・国外の諸機関や研究者達からの反応は、数こそ多くはありませんが、内容的には評価の度合いを増してきている内容のものでした。このことは、「初期在北米日本人の記録」群それ自体の持つ内容上の歴史的価値が、正当な評価を受けて来つつある証しであると思います。原著者や原出版関係者の霊には、満腔の敬意を捧げます。またこの電子復刻の機会に御支援を賜った各方面の皆様には、衷心から御礼を申しあげ、同時に復刻出版元である文生書院の御努力と御理解に深く謝意を表する次第であります。

ところで、このたび、上の作業を続ける以上、「機会があったら、『漫画四人書生』を電子復刻して『初期在北米日本人の記録』シリーズに加えよ」という意味の命令が私の許に届いて久しいのです。後輩からそのように言われたのは、もう随分と前のことでありましたが、既にこの主題領域にある程度の情報と知識をもっていた私は、即「夢」として受け止めたものでした。

ここに復刻のため取り上げた『漫画四人書生』は、益々、歴史的文献となって参りました。まず、「日本とアメリカ」の漫画論や絵画論を打ち立てるための材料として注目されます。この原著を通じて、すでにアメリカ側の専門家によって研究入門の為の扉が開きました。原著は、日本人が、日本文と英語を混用してまとめた一本であり、発行地はカリフォルニア州サンフランシスコ市であります。本書は昭和6年3月に発行され定価は3ドルでしたから、特に「書生」などにとっては相当高価(従って豪華)なマンガ本の初版でした。この復刻版では、原装の姿を重んじつつ(第1部)、新たに日米両国から二人の漫画研究の専門家(フレデリック・ショット氏並びに小野耕世氏)に御協力をいただき(第2部)、貴重な玉稿を寄せていただきました。以上を全1冊にまとめ、「脚注」は、照合参照する際の利便を考慮して別冊と致しました。ご活用ください。

一方、私は木山家、とりわけ『漫画四人書生』の著者木山義喬(ヘンリー)の一人娘である木山秀子さん、ならびに養子縁組となった木山輝章さんに深甚なる感謝を申しあげなければなりません。原著者木山義喬から、彼の作品群をバトン・タッチして、それらを後世に伝承すべく見事な手を打ったのは、源泉的に申しまして、この御両人です。原著者木山義喬は、画のためには毎日のようにペンや筆を握りましたが、自分では殆んど文章を書き遺しませんでした。それは徹底した主義に立つもので、『漫画四人書生』には「自序」もなければ、何故この本をあの時点で遺す気になったか、全く「言葉」では触れておりません。私は、木山家だけに伝わった「無言の言葉」が遺産としてあり、その言葉に導かれて「貴重な歴史文献」が今に残ったのだと夢想だに考えます。永い永い伝統ある鳥取県の「家風」というものでしょうか。私には深入りする言葉も見つかりません。

それにしても、『漫画四人書生』の著者は口が重い。文章がない。昭和20年に占領軍がやってきた際も、根雨地区一帯はおろか島根県でも屈指の「アメリカ通」であったであろう木山義喬が、山脈のようにデンとして全く動かない。巻き込まれない。敗戦や占領軍行政に動じない。優れた文化人類学者である祖父江孝男も名著『県民性』(中公新書)の中で、(鳥取県人は)地味に、日蔭で黙々と働くといったタイプが多いようだ、と結んでいる。青年木山義喬の素性・精髄にはこうした芯があり、終生それに束縛・拘束され、一方で強靭な精神力でこれに反発したロマンがあったに違いない、と観察しておきたい。彼にもまた、太平洋戦争が勃発しなかったならば、少なくとも、サンフランシスコやパリでの絵筆生活の、別の歳月があったことであろう。しかも、反感・反発の行動をおこしたわけでもない。彼は、時代を透視する「個人力」をもった現代人間の中の人間であったのだろうか。未来人ではなく、現代の先を行く「考える人」だったのだろうか。少なくとも、鍵の一つや二つは、本書の漫画テキスト中に秘められているに違いありません。作品研究も去ることながら、木山義喬の人物・語学力・交友関係・その時代の日米両国の交流・文化・社会関係につき、図像(漫画)をとおして、一斉に研究を広め高めようではありませんか。

この『漫画四人書生』の復刻版が、先の『初期在北米日本人の記録』の数々に劣らず、多くの方々に歓迎されることを心から期待して、本書復刻版のことばにかえる次第です。

2008年11月  監修者・奥泉 栄三郎  (はじめに より)

 


4shosei01 4shosei02 4shosei03
サンフランシスコのアトリエで サンフランシスコ時代の作品

正装したヘンリー木山義喬氏

 

本誌の吹き出しの言葉は主に英語でかかれております。そこで著者の一人でありますサンフランシスコ在住のアメリカ人
漫画研究家のF.L.Schodt氏に解説を書いていただき別冊附録と致しました。之はその目次と1頁目です。

別冊:解説 目次 Frederik L. Schodt編

1.    着桑    1    
2.    スクール・ボーイ    1    
3.    スクール・ボーイ    2
4.    スクール・ボーイ    2
5.    スクール・ボーイ    2
6.    スクール・ボーイ    2
7.    スクール・ボーイ    3
8.    スクール・ボーイ    3
9.    スクール・ボーイ    4    
10.    スクール・ボーイ    4
11.    人ちがい    5    
12.    農園働き    5
13.    農園働き    6
14.    農園働き    6
15.    親の死報    6
16.    堕落    6
17.    堕落    7
18.    堕落    7
19.    靴屋    7
20.    桑港震災    8
21.    桑港震災    8
22.    桑港震災     8
23.    桑港震災    8    
24.    プレン・コック    9
25.    或商店働き    9

26.    学童問題    9                           
27.    布哇転航    10
28.    布哇転航    10
29.    イルミネイション見物    11
30.    大統領拝観    11
31.    金門銀行破産    12
32.    博覧会    12
33.    博覧会    12
34.    博覧会    13
35.    博覧会    13
36.    コルサの米    13
37.    コルサの米    13
39.    コルサの米    13
40.    写真結婚    14
41.    写真結婚    14
42.    写真結婚    14
43.    写真結婚    14
44.    欧州大戦       14
45.    欧州大戦    14
46.    フルウ    15
47.    禁酒令    15
48.    ターラック事件    15
49.    土地法令    16
50.    似た者夫婦    16
51.    共倒れ    16
52.    グッドバイ    17

別冊 内容

『漫画四人書生』
(左側数字は話の番号とコマの番号です)

1.    着桑
(注)「着桑」は「サンフランシスコ到着」の意。日系人の間では、サンフランシスコは昔から「桑港」(ソーコー)として知られている。
1.2    白人:「この2人は目が悪いので、島送りになるぞ」
(注)お医者さんらしき男のいう「島」とはおそらくサンフランシスコ湾の中に浮かんでいるエンゼル・アイランド(天使の島)のこと。当時、アメリカへ移民するアジア系の人々はエンゼル・アイランドで入国手続きなどを済まし、場合によっては長期的に監禁されることもあった。長期監禁された人々の大半は中国人だったが、中には日本人もいた。入国設備などが島上につくられたのは1910年であったので、木山たちがアメリカへ来た1904年にまだなかったはずである。1904年ころは、移民局の役人たちは港の船の上でほとんどの検査を済まし、「あやしい」者たちをサンフランシスコ市港の桟橋付近の仮施設に監禁したはずである。したがってこの話は、その後入ってきた複数の日本人の体験を合成したものと考えることもできるが、あるいは木山の友達が島にあった検疫所に送られたということもあり得る。同検疫所は1892年に設立され、米国の海軍病院局によって運営された。ヘンリーたちが実際に送られた場所はともかく、当時の日本や中国からの移民にとって、感染性の目の病気と診断されると、監禁だけではなく本国に送り返されるおそれもあった。現在、エンゼル・アイランドの監禁用の設備などは保存指定を受け博物館となっているので、中国人が壁に書いた落書きや詩なども見ることができるが、最も心に訴えるものは一冊の詩集にまとめられて販売されている。中国人移民の中には、2年以上監禁された者も何人かいた。第二次世界大戦中、日本兵の捕虜もときどき島に送られた。

1.8    フレッド:「ポテト王、牛島氏」
(注)アメリカで「ジョージ牛島」として知られていたポテト王、牛島謹爾(1864-1926)のこと。サクラメント河付近の水脈地帯デルタで最新の灌漑や再生技術を導入し、沼地などを耕地に変えることに成功した、当時最も名を馳せた日系人の一人。土地王と億万長者にもなったが、晩年はさまざまな側面で人種差別と闘わなければならなかった。1908年2月に設立された在米日本人会の最初の会長を務めたこともある。牛島の墓と記念碑はサンフランシスコの南にあるコルマ(Colma)市内の日本人墓地内にある。サクラメント河付近に「Shima Tract」という地名は、ほかでもない「ジョージ島」から来ている。
1.10     中国人:「まったくよくしゃべるやつだね」
1.11    (注)当時の移民は最初にキリスト教の教会や仏教のお寺に下宿したり、そこで仕事を斡旋されたりすることがよくあった。この第一話では、歓迎の夕食会はサンフランシスコ市内の中国人街で行われているようである。

2.    スクール・ボーイ

2.1    女:「日本人仏教協会ですか。空いているスクール・ボーイありませんか。そうですか。ならば、すぐこちらへ送って下さいね」
2.2    男:「ハイ。ありますよ、新しいのが。日本から着いたばかりの一人ですよ。すぐそっちへ連れて行きます」
2.3    男:「GO HOME」=もう帰っていい!=首だ!
2.4    男:「とても正直で、態度のいいやつですよ、奥さん」
女:「あぁ、見た感じは確かにいいですね。どうぞ、お入り」
2.5    男:「毎週、1ドルですか。それは悪くないですね」
女:「そう。部屋もいいし、食事付きですよ」
2.6    チャーリー:「分からん」
女:「タマネギとイモの皮をむいで

 

「初期在北米日本人の記録」には未だ此処にご紹介出来なりでおりますが,多数の面白い本がございます。徐々にではありますが,ご紹介してゆこうと思います。
第四期でも,本誌と同じく日本人漫画家[宍戸左行氏]「漫画漫談アメリカの横ッ腹」 〔昭和4年,438頁,A5版,
東京:平凡社〕\12,600 がございます。追ってご紹介申し上げます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

.

カートの中

カート内の商品 0

合計金額 0

カテゴリー一覧へ