ヘンリー木山義喬原著 『漫画四人書生』ふたたび
私共は平成15年(2003年)に『初期在北米日本人の記録』の企画・出版を開始して以来、全109巻135タイトルを電子復刻して来ました。現在は第三期分に取り組んでおり、月単位で成果を出しております。この過程で、私共に跳ね返ってきた国内・国外の諸機関や研究者達からの反応は、数こそ多くはありませんが、内容的には評価の度合いを増してきている内容のものでした。このことは、「初期在北米日本人の記録」群それ自体の持つ内容上の歴史的価値が、正当な評価を受けて来つつある証しであると思います。原著者や原出版関係者の霊には、満腔の敬意を捧げます。またこの電子復刻の機会に御支援を賜った各方面の皆様には、衷心から御礼を申しあげ、同時に復刻出版元である文生書院の御努力と御理解に深く謝意を表する次第であります。
ところで、このたび、上の作業を続ける以上、「機会があったら、『漫画四人書生』を電子復刻して『初期在北米日本人の記録』シリーズに加えよ」という意味の命令が私の許に届いて久しいのです。後輩からそのように言われたのは、もう随分と前のことでありましたが、既にこの主題領域にある程度の情報と知識をもっていた私は、即「夢」として受け止めたものでした。
ここに復刻のため取り上げた『漫画四人書生』は、益々、歴史的文献となって参りました。まず、「日本とアメリカ」の漫画論や絵画論を打ち立てるための材料として注目されます。この原著を通じて、すでにアメリカ側の専門家によって研究入門の為の扉が開きました。原著は、日本人が、日本文と英語を混用してまとめた一本であり、発行地はカリフォルニア州サンフランシスコ市であります。本書は昭和6年3月に発行され定価は3ドルでしたから、特に「書生」などにとっては相当高価(従って豪華)なマンガ本の初版でした。この復刻版では、原装の姿を重んじつつ(第1部)、新たに日米両国から二人の漫画研究の専門家(フレデリック・ショット氏並びに小野耕世氏)に御協力をいただき(第2部)、貴重な玉稿を寄せていただきました。以上を全1冊にまとめ、「脚注」は、照合参照する際の利便を考慮して別冊と致しました。ご活用ください。
一方、私は木山家、とりわけ『漫画四人書生』の著者木山義喬(ヘンリー)の一人娘である木山秀子さん、ならびに養子縁組となった木山輝章さんに深甚なる感謝を申しあげなければなりません。原著者木山義喬から、彼の作品群をバトン・タッチして、それらを後世に伝承すべく見事な手を打ったのは、源泉的に申しまして、この御両人です。原著者木山義喬は、画のためには毎日のようにペンや筆を握りましたが、自分では殆んど文章を書き遺しませんでした。それは徹底した主義に立つもので、『漫画四人書生』には「自序」もなければ、何故この本をあの時点で遺す気になったか、全く「言葉」では触れておりません。私は、木山家だけに伝わった「無言の言葉」が遺産としてあり、その言葉に導かれて「貴重な歴史文献」が今に残ったのだと夢想だに考えます。永い永い伝統ある鳥取県の「家風」というものでしょうか。私には深入りする言葉も見つかりません。
それにしても、『漫画四人書生』の著者は口が重い。文章がない。昭和20年に占領軍がやってきた際も、根雨地区一帯はおろか島根県でも屈指の「アメリカ通」であったであろう木山義喬が、山脈のようにデンとして全く動かない。巻き込まれない。敗戦や占領軍行政に動じない。優れた文化人類学者である祖父江孝男も名著『県民性』(中公新書)の中で、(鳥取県人は)地味に、日蔭で黙々と働くといったタイプが多いようだ、と結んでいる。青年木山義喬の素性・精髄にはこうした芯があり、終生それに束縛・拘束され、一方で強靭な精神力でこれに反発したロマンがあったに違いない、と観察しておきたい。彼にもまた、太平洋戦争が勃発しなかったならば、少なくとも、サンフランシスコやパリでの絵筆生活の、別の歳月があったことであろう。しかも、反感・反発の行動をおこしたわけでもない。彼は、時代を透視する「個人力」をもった現代人間の中の人間であったのだろうか。未来人ではなく、現代の先を行く「考える人」だったのだろうか。少なくとも、鍵の一つや二つは、本書の漫画テキスト中に秘められているに違いありません。作品研究も去ることながら、木山義喬の人物・語学力・交友関係・その時代の日米両国の交流・文化・社会関係につき、図像(漫画)をとおして、一斉に研究を広め高めようではありませんか。
この『漫画四人書生』の復刻版が、先の『初期在北米日本人の記録』の数々に劣らず、多くの方々に歓迎されることを心から期待して、本書復刻版のことばにかえる次第です。
2008年11月 監修者・奥泉 栄三郎 (はじめに より)
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