「近代日本建築学発達史」再刊に寄せて
東京大学大学院工学系研究科 教授
藤井 恵介 (建築史)
日本建築史の研究を始めて、研究の歴史がどうなっているのかを意識した時、最初に開いたのがこの『近代日本建築学発達史』
だった。伊藤忠太、関野貞からはじまる日本近代の建築史家の足跡が、冷静に淡々と記述してあって、印象的だった。戦後の話
となると、スト-リ―ではなくて、数量を表したグラフが載っていて、新しい研究を論じるのは難しいんだな、と初学者なりに
思ったものだった。
後に建築学会の委員になって。「碩学に聞く」という連続講演を企画して、建築学の先達の先生方にお話をお願いした時、知らない分野の先行業績を取り急ぎ知ろうとして、大いに役だったのもこの本だった。本文の書き方も、発表時の文章をそのまま引用する箇所が多くて、臨場感たっぷりなのだ。最近では、設計分野の明治・大正期の人々を探していて、この本の末尾の人名索引にぶつかった。とてつもなく多くの人名がひろわれている。これも役に立つ。こんなに厚くて、隅々まで目を通すのは不可能なのだから、新しくページを開くたびになにかの発見がある。この本になんど恩恵を受けたかわからない。
近代日本の建築学は、日本の近代化という大きな目標に向かって、途方もない努力を傾け、それを実現してきた。その足跡の痕跡は現在、近代化遺産というような新しい文化財のジャンルまで出来て、もはや保存の領域にさえ入って来ている。この本は、その途方もない努力を詳細に記述してやまない。こんなに近代化への苦闘がなまなましく書き込まれている本は他に全く無いし、同時に今私たちが立っている日本の都市や建築を余すことなく物語ってくれるのだ。
最近、政治や経済といった分野でも、実際に建ってきた建物や、生産された品々そのものが研究対象となりつつある。頭のなかや、文章や、議論といったものでなく、実際に存在したものの持つ意味が改めて問われるようになって来た。それを対象にするときの、絶好のネタ本だし、また、近代の見直しの時期に来ている現在、この本自体が見直される対象として、重要な位置を占めるに違いない。本書の再刊は新しい読者、ひいては新しい研究を次々と産みだすだろう。
大学院にいた時、研究室に教授の本が一冊あるだけで、欲しくてたまらなかった。なんとか手元に置きたくて、丸善から再刊された時、かろうじて入手した。 当時(平成4年)の値段で9万円の定価だったから、大枚をはたいて宝物を手に入れたような気がしたものだ。
今回、文生書院の企画で、それが当時とほぼ同じ価格で再刊される。こんな便利な本が手元に置けるなんて、今の若い人たちがうらやましい。
今回は新しい電子復刻版の形式で、少部数を印刷して提供するらしい。この方法だと、古書価格があまりにも高くて、とても手に入らない貴重な大著が廉価(といっても高いが)で座右に置けるようになる、という。次なる企画にも大いに期待している。 |