文生書院より刊行のはこびとなった「日本茶業史資料集成」は、戦前における日本茶業の発展を知るうえで不可欠の重要文献を収集・復刊したものである。シリーズは今では入手困難となった各種茶業史を中心とし、紅茶関係書、栽培・製法に関する技術書、海外市場における調査報告書、統計資料など、茶業の全領域を網羅しているのが特徴である。
戦前期日本茶業史の研究は、産業史研究の一環と位置づけることができる。これまでの産業史研究をふりかえると、何よりも重化学工業をはじめとする近代産業の発達に力点が置かれ、簡素な技術と中小規模の家族共同体的経営で成立していた在来産業や農家副業については、生産額が少額であるという理由から、本格的な考察の対象にはされなかった。茶業も在来産業あるいは農家副業の範疇に入るが、一般には明治期、生糸と並ぶ主力の輸出品として外貨獲得に貢献してきた事実が知られている程度である。
だが戦前の日本茶業は、明治政府の殖産興業政策、産業・貿易構造の変化、地域経済の発展、農業技術の進歩と普及など、日本経済史研究の重要テーマと関連づけながら、より詳細・多角的に分析する余地が残されている。
さて、私が『戦前期日本茶業史研究』(有斐閣,1999年)をまとめた際、最も苦労し、時間を要したのは文献の収集であった。業界発行書という特殊性から全国の大学図書館にはあまり所蔵されておらず、日本茶業中央会、農林水産省図書館、静岡県茶業会議所、独立行政法人農業技術研究機構野菜茶業研究所金谷茶業研究拠点など、関係機関へ出向いて閲覧・複写をお許しいただかなければならなかった。私はこの経験を通じ、最近まで茶業史研究が進まなかった第一の原因は、資料収集の困難さにあることを痛感した。
このたびの復刊実現で、戦前期日本茶業の全貌が明らかにされるとともに、新たな意義づけが行われ、産業史研究が進展することが期待される。このシリーズが大学図書館はもちろんのこと、お茶にゆかりのある県や市の図書館に広く所蔵され、多くの研究者の目にとまることを切望している。
私はまた本シリーズを、全国の茶業関係者にもお読みいただきたいと考えている。日本茶の輸出全盛時代から100年以上が経過し、内外の経済情勢が激変したこともあって、現在日本は緑茶輸入国になっている。実に緑茶市場全体の15%程度を輸入品が占め、競争が激化している。このほかにも生産農家の減少、後継者難と担い手の高齢化、産地表示問題など、茶業界は数多くの難問に直面している。しかしこのような厳しい時代であればこそ、歴史を検証し、先人の努力から様々な教訓を引き出す姿勢は重要であるし、業界活性化のヒントをさぐることも可能ではなかろうか。
最後に監修を快くお引受けいただいた小川流煎茶家元・小川後楽先生に衷心よりの御礼を申し述べたい。先生は絶えずお茶の学際的研究が必要であることを強調され、2001年より開講した関西学院大学の講義(お茶の総合コース)でも、従来の枠組みにとらわれない「お茶研究」の構築を目指されている。また経済・文化・農学・薬学など、総合的な観点から文献・資料を収集・保存してゆくことが学際研究の第一歩であるとおっしゃっており、現在先生のご協力を得て江戸時代の貴重書や文化史的な文献の選定作業も着々と進められている。数年後にはより充実度を高めた「日本茶業史資料集成」が完成し、お茶研究の新しい局面が切り開かれることは確実であろう。