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BUNSEI SHOIN CO.,LTD

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古書

資料・史料

専売煙草(須知善一)コレクション

須知氏蒐集 原資料類
全615点

Tabako02  Tabako-Unlisted02
明治30年(1897)京都の丹波地方の農家に生まれた須知善一は高等小学校を卒業後、大阪の貿易
会社に入るや、すぐに素晴らしい商才を発揮します。そして、わずか15才にして趣味界にも登場
し、20才の頃にはさまざまな「趣味の会」に所属。版画や郷土玩具を収集、紀行文・文化への
造詣を文章にして雑誌に発表などします。
大正末に大豆の仲買人として満州の澤田組に引き抜かれ
た須知は、広い大陸でますますその行動力を発揮。中国の郷土玩具に興味を持ち、大陸各地を訪れ
て玩具を買い集めるようになります。まず、須知は、戦前から戦中はこの中国玩具の収集で名を知られました。
当時の中国は交通網が整備されていなかったのですが、彼には関東軍といわば「政商」としての
人脈があり、彼らの助力を得て僻地や治安の悪い地域へも足を運ぶことができたようです。
甘粕正彦とつながり、原敬暗殺犯・中岡艮一を手足として使ったりしたようです。そうして、須知
は中国玩具の最高権威者になっただけでなく、豊かな財力にものをいわせ骨董品にまで手をのば
し、戦時中に満洲旅行をした川端康成と交友を深め、また様々に援助もしましたしかしこの華々
しい活動は、昭和20年の敗戦により終了しました。大連にソ連軍が攻め込んで来たため、須知は
コレクションを放棄して本土へ引き揚げます。相当な物資も持って来たようですが、昭和24年から
病気で6年伏せることになります。
これを機に、実業界を捨て、数ある趣味の中から「煙草趣味」一本にしぼることになります。一年
中ほとんど家に戻らず「煙草趣味」行脚に明け暮れ、須知の煙草研究は並ぶ者のない域にまで達し
ました。これは彼の戦後の活動のほぼすべてであったものであり、またここにご案内するコレクシ
ョンでもあります。やがて須知善一は昭和55年頃鳥取で没したようです。

「専売煙草(須知善一)コレクション」の全体の量は12メートルに及び、この度そのリスト化を終え
ました。ぜひご高覧下さい。このようなものは、今後ほとんど入手不可能な資料だと思います。
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