この写真帖の持ち主は、写真帖のキャプションから推察しますと、
明治26年頃北上川周辺で生まれ、明治44年には一関中学の高学年に成り、渡米する。スクールボーイや、麦畑、
キャベツ畑で労働の後、1916年美香登[ミカド]クラブ野球部(シアトル)へ参加する。
1917年シアトルにFashion Craft Tailorを開業する。大正9年、美香登野球クラブ第一回故国遠征に参加、
各地を転戦する早大を訪問し安部磯雄部長と記念撮影。
又、早大が招聘したシカゴ大学ナインとも帝国ホテル等で記念撮影をしています。大正10年には安部磯雄監督が
引率して第四回早大米国遠征が行われました。其の時にワシントン大学学生クラブでの早大野球部員の写真が有り、
早大と今をときめくバンクーバー朝日クラブとの対戦写真と共に早大対美香登クラブとの写真もあります。
大正12年に関東大震災直後に第二回遠征で横浜港に到着。横浜港の警護艦の写真と共に、乗船のアリゾナ丸が被災民
1,200名を乗せて神戸へ回航されるのを目撃する。ネットでの早稲田大学野球部の歴史に記載されている
"大正12年シャトル・ミドリチーム来日、5対0で勝利"は、シアトル・ミカドチームではないかと推測されます。
その後帰国して、大正15年東京京橋区に洋服店を開業し野球部を作る。
昭和2年、34歳で第8師団歩兵第31連隊(弘前)へ入隊。昭和4年の報知新聞社前のマラソン記念写真が有り、多分
箱根駅伝の模様とおもわれます。その他、桜井女塾に関する写真が多く有り非常に珍しいと思われます。
更に、昭和5年頃の青山アパートの写真、富士登山、スキー、ゴルフ(有栖川宮記念)、ラグビー試合、テニスの写真
が有り、震災後の安田邸、宮城前のテント病院、被服敞跡の写真が散見されます。
最後に、1924年Air Service USA World Flightとして霞ヶ浦に飛来した水上飛行機と、自動車レースで有名な
藤本軍次氏が一緒に撮影された写真が数枚あります。
3冊合計で、手札サイズ以下の小判写真が約519枚有り、キャビネ判の中判が約49枚、それ以上の大判が約19枚が
含まれております。
第1冊目: [33.5 × 26cm 横長 アルバム 表紙革製] 93p
第2冊目: [38 × 28cm 横長 アルバム 表紙革製] 82p
第3冊目: [26 × 18cm 横長 アルバム 表紙革製] 61p
一番サイズの大きな写真帖は,数枚にわたり綴じからはずれた部分がございます。
その他の部分は年代を経ておりますが,古書として普通の状態であります。
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