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カフカの未刊書簡を含む「ロベルト・クロフシュトック」コレクション 印刷

 

カフカの未刊書簡を含む 

「ロベルト・クロプシュトック」
コレクション


Robert Klopstock’s collection
464 items Euro 997,500
【税込】

「ロベルト・クロプシュトック」コレクションの全明細はInblis社に
より下記の書籍で刊行されております。CD-R版も作成されています。


Kafkas letzter Freund:


Der Nachlass Robert Klopstock (1899-1972):
Mit kommentierter Erstvöffentlichung von 38 teils ungedruckten Briefe in Franz Kafka / bearbeitet von Christopher Frey und Martin Peche; herausgegeben von Hugo Wetscherek; mit Beiträgen von Leonhard M. Fiedler und Leo A. Lensing. Wien, Inlibris. 2003. 312p. ISBN 3950081399    〔CD-R available. Please inquire.〕
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コレクションについての解説:

20世紀を代表するドイツ語作家フランツ・カフカ(1883-1924)の死を看取った“カフカ最後の親友”ロベルト・クロプシュトックの遺産コレクションは、収録されている個々の資料の総和以上のものを物語る独特の雰囲気が全体的に満たされています。なかでも最も重要な資料である「自筆の書簡」から浮きあがる作家の像は、ブロートが表現してきたような(形而上的に当惑し、常に不安に駆られた孤高の人)イメージとは異なり、困った友人を助けためならお役所仕事を操ることも厭わない、むしろ人助けに長けた人物であったことを読み取ることが出来るでしょう。コレクションにはカフカ直筆書簡37点のほか、話すことも儘ならない末期のカフカが友人とのやり取りに使用した、現存するものとしては唯一の紙片(ブロートが“Gesprachszettel”と表現している)も含まれています。

コレクションにはそのほかトーマス・マン、アインシュタイン、ザルマン・ショッケン、フランツ・ウェルフェル(カフカを「王の伝言者」と表現したことで知られる有名な手紙)の書簡、クラウス・マン、トーマス・マン、ブロート、シュバイツァー、ショッケン、ウェルフェルの署名入り献本なども収録されています。

ドイツの公的機関が保管しているカフカ直筆の手紙・葉書は全体でも25点程度(遺物や直筆文書の情報ポータルサイト「Kallipe Portal」: http://kalliope.staatsbibliothek-berlin.de)に過ぎません。またこれらの資料もマールバッハ、エーランゲン、ゲッティンゲン、フランクフルト・マインとドイツ各地に散らばっているため、本コレクションの購入者は一夜にして、ドイツ・オーストリア国内全体の資料数を凌ぐカフカ書簡の最大のコレクターとなりうるでしょう。


カフカ研究者にとり、本コレクションは新たな研究テーマを見い出すには絶好の機会となるでしょう。例えば、カフカのヘブライ語研究や翻訳問題に対する対処法、カフカとハンガリー文学との関係(カフカがヘブライ語で執筆した唯一の手紙も収録されている)など研究のコアとなる一次資料が本コレクションには豊富に含まれています。また、広く知られたブロートとの友情の影に隠れて明るみにでることのなかったカフカとクロプシュトックの関係についての研究も、標記のInlibris社の刊本上で公開されている描写だけで調べ尽くされたわけでは決してなく、誰しもが認める今世紀を代表する作家の新たな側面を追究する上でもこれら往復書簡はさらなる研究を必要としているのです。

クロプシュトックの遺産それ自体も研究対象としては価値があるものです。国外亡命や医学、文学をテーマとする研究であれば興味深い資料に事欠くことはないでしょう。また別の角度からのテーマとしては、クロプシュトックの妻ギゼルとかつてのユダヤ教、ユダヤ人の親戚関係なども学士・修士号には相応しい論文課題となるでしょう。ユダヤ教の伝統や改宗、反ユダヤ主義、隠れユダヤ教、宗教放棄、厳格な祖先の克服といった複雑な問題は、学術的にも関心の高いテーマとして昨今注目されていますが、これらの問題はギゼルの文学的活動に着目し、彼女の「ユダヤ人でいること」に関する視点が執筆活動の中で著しく変化している点にも注目しながら解明を進めていくべきでしょう。


ロベルト・クロプシュトックの略歴:
1899年、ハンガリーに生まれたクロプシュトックは後に米国で市民権を取得、ニューヨークの亡命者文学界においては重要ながらも掴みどころのない存在として、またハーバード大学とニューヨーク州立大学で肺外科医として活躍した。第一次世界大戦で服役後、結核を患い転送されたサナトリウムにおいて当時37歳だったカフカと出会い、親交を深める。カフカの病状が悪化し余生が残り少ないことを悟ったクロプシュトックはプラハでの医学研究(ブダペスト大学がユダヤ人入学を拒否した際、カフカはクロプシュトックの入学許可の斡旋に尽力している)を中断、カフカの看病に専念した。カフカの死後、ベルリンでの研究を終えて結核病院として名高い「Waldhaus Charlottenburg」 に勤務。 ナチ政権の台頭でドイツで苦境に追い遣られるにつれ米国への移住を検討し始めるが、ここでクラウス・マンとの交友関係(医学アドバイザーとしても従事)が役立った。1936年、トーマス・マンはアインシュタイン宛の手紙の中でクロプシュトックのために仕事の口の斡旋を依頼しているほか、すでにニューヨークに移っていたクラウス・マンも移住計画の財政支援を行っている。チェコスロバキアの崩壊とともに、1938年9月25日ニューヨークの“Champlain”から退いた。期を同じくして欧州では戦争が勃発、妻ギゼルは一年後に夫の後を追うこととなる。トーマス・マンがクロプシュトックに持たせた推薦状が功を奏し、クロプシュトックはマサチューセッツ総合病院のハーバード研究員として認められ、そこに1941年7月まで滞在した。米国が戦争に参入した際、クロプシュトックはクラウス・マンら亡命中の友人らと同様にナチス・ドイツとの戦いに加わる義務を感じて戦争志願する手紙を多数送ったが、米国軍はクロプシュトックが20年に亘って結核を患っていることを理由に拒否し続けている。1942年10月にはロードアイランドのトリボロ病院に外科医として勤務。戦争への貢献は、ボストンに足繁く通って軍医を対象とした胸囲外科講座を受け持つ程度に留まっている。1945年3月、米国の市民権を取得。1949年にトリボロ病院で胸囲外科部長補佐、1952年には胸囲外科准教授となる。1953年、ブルックリンの退役軍人局病院に移り、胸囲外科局の責任者に着任。ニューヨーク州立大学の州南部医学センターでも外科准教授として教鞭をとり、1963年には教授職に昇格。またクロプシュトックは胸囲外科理事会の免状所有者でもあり、80本以上の論文を執筆(単独または共著)している。なかでも1943年にエドワード・D・チャーチルと共に発表した論文は1940年代後半の肺結核治療に大変革をもたらし、胸部外科の分野では草分け的存在として知られている。1972年に死去。ニューヨーク・タイムズ紙は死亡記事の中でクロプシュトックについて「肺外科分野における開拓者、フランツ・カフカの看護士そして忠実な友であった」と記している。

実際のところ、コレクション中のカフカの書簡類はクロプシュトック宛の手紙・葉書として知られている半分の量しか含まれていませんが(書簡37点と紙片1点に対し、ブロート版書簡には67点含まれている)、残りの手紙が今後出現する可能性は低いと考えられています。夫の遺物を大切に保管してきた妻ギゼルが1995年に死去した際の公式遺物記録に記載されているのもここに収録されている書簡のみです。尤も、クロプシュトックが手紙を紛失して取り返しのつかなくなったという可能性も否めませんが、単に彼が家族外の友人などに手紙を譲ったということも考えられます。本コレクションの出版をマスコミが騒ぎ立てたことで何名かの個人収集家(ヘドヴィック・ウェイラー、ルドヴィック・ハルトの子孫など)がカフカ資料の提供を申し出てきましたが、クロプシュトックに関係する資料や紛失している書簡が現れることはなく、また何かヒントとなる情報が第三者によってもたらされることもありませんでした。紛失した手紙などがオークションで売り出されて見つかる可能性としてはまさにこの時が理想的な好機だったのでしょう。実際、紛失した手紙で唯一浮上したものにカフカがKierkegaardについて書いた長い書簡がありました、これは1989年にオークションにかけられています。

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Franz Werfel 1935 Wien Klopstock 1950 New York

 

「ロベルト・クロプシュトック」コレクションの特徴:

特に、フランツ・カフカ未公開書簡など

ロベルト・クロプシュトック遺産コレクションには、一部未刊のカフカ直筆の手紙38点のほか、著名人(アインシュタイン、トーマス・マン、フランツ・ウェルフェル、ザルマン・ショッケン)との往復書簡、クロプシュトック本人の手書き原稿、個人的文書、マックス・ブロートやマン兄弟から贈られた献本の数々、また大量の写真が収録されています。

これは20世紀を代表するドイツ語作家フランツ・カフカ(1883-1924)が親友ロベルト・クロプシュトック(肺外科医、1899-1972)宛に送った手紙を含む貴重なコレクションです。カフカが「最後の友」に認めた書簡38点のうち7点は完全未出版であり、また14点はブロートが大幅に割愛した上で出版されたものです。

クラウス・マンの日記によれば、カフカは文学を愛するハンガリー出身医学生クロプシュトックの「腕の中で息絶えた」とされています。41歳という若さで夭折したカフカにとり、クロプシュトックと最後の恋人となるドーラ・ディアマントは作家の最期を共にした「家族」のような存在でありました。

コレクションに収録されている手紙はカフカが死ぬ直前の4年間にわたり取り交わされたものです。晩年の作家にとってクロプシュトックは「父、判事、そして神たる存在」(『Nightmare of Reason 』p.446)となったと伝記作家エルンスト・パーヴェルが記してますが、そんなクロプシュトックとの関係もこれらの書簡から新たに読み解くことができることでしょう。同様に、手紙からはカフカが生活を共にした唯一の女性である25歳の恋人ドーラとの関係についてもさらに理解を深めることができます。ブロートが出版時に削除した箇所に、ドーラが恋人の病状をクロプシュトックに伝えるために加筆した追記などもありますが、それらも完全な形で初めて公開されています。その他、コレクションに含まれる資料(クロプシュトック自身の原稿や文書、膨大な写真、書斎に保管されていた献本、トーマス・マン、ウェルフェル、アインシュタイン、ショッケンなど著名人との往復書簡)から、これまでほぼ無名の存在だったカフカ最後の友であるドイツ人医師クロプシュトック(1937年米国に亡命)という人物像を今回初めて浮き彫りにすることができます。

カフカとクロプシュトックは1921年、共に結核を患って入院した先のサナトリウムで出会い、親交を温めました。クロプシュトックは病気を克服することができたもののカフカは1924年6月3日にウィーン郊外のキアリング・サナトリウムで死亡。クロプシュトックはその後肺結核分野において大きく貢献し、広く尊敬を集めた科学者・外科医として1972年にニューヨークで死去しました。

 

 

ドイツ政府文化助成金財団の専門家による鑑定では
販売価格 95万ユーロ(税別)は適正とされています。
コレクション全資料の輸出許可証もご用意されています。
価格はユーロ建です。換算率で今が絶好の好機です。


















 
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