外地国勢調査報告 印刷
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監修
中村 隆英 (東京大学名誉教授)
原   朗 (東京大学名誉教授)

第一編: 外地国勢調査報告
外地調査資料叢書

第1輯: 樺太庁
『樺太庁国勢調査報告』
『樺太庁統計書』

第2輯: 満州国
『満州国国務院(人口)国勢調査報告』

第3輯: 関東(局)庁
『関東(局)庁 (戸口)国勢調査結果表』

第4輯: 朝鮮総督府
『朝鮮総督府国勢調査報告』

第5輯: 台湾総督府
『台湾総督府(戸口)国勢調査報告』

第6輯: 南洋庁
『南洋庁(南洋群島)国勢調査報告』

第7輯: 琉球政府
『琉球政府国勢調査報告』


旧「大日本帝国」人口の全容

日本本土の第一回国勢調査は、大正九(1920)年一〇月一日午前零時を期して行われた。全国民のすべてをひとりのこらず調査して完璧な人口調査を行いたいというのは、明治初年以来、統計関係者の熱望するところであった。明治三十八(1905)年に予定されていた第一回国勢調査は日露戦争のために中止され、大正九年ようやく実施の運びとなったのである。

ところが、日本の範図のうちで、明治三十八年に国勢調査が行われた地域が一ヶ所だけ存在していた。なんとそれは、明治二十八年の日清戦争の結果日本の領有するところとなった台湾である。領有当初、台湾の民政を指導した後藤新平は、現地の事実の調査に力を注ぎ、実情を把握した上で行政に当ろうという考え方に立っていた。後藤の思想を引き継いだ後継者たちは、戦時の困難を乗り越えて調査に当たり、日本最初の人口全数調査を成功させたのである。こののち、日本の海外領土は樺太、関東州(租借地)、朝鮮、南洋群島と第一次世界大戦までに急速に拡がってゆく。そのいわゆる「外地」においても、大正九年から、一斉に国勢調査が開始された。大正8年のベルサイユ条約で国際連盟の委任統治地となった旧ドイツ領の南洋群島でさえ、大正9年調査が実施されたのである。

これから五年毎に、簡易調査と本調査とが繰り返されてゆくが、「外地」においても「内地」同様に調査が行われ、報告書が刊行されたのである。台湾・朝鮮では昭和十四年の『物の国勢調査』(実際には商業調査)も実施されたし、朝鮮では昭和十九年二月の戦時国民動員のための『人口調査』さえ行われ、その結果表が保存されていた。内地でも昭和十四年、十五年、十九年の報告書は当時は公表されず(注1)、残存部数が少ないのに、外地についてのすべての資料が世に出ることになったのは、まことに望外の喜びである。

また、旧「満州国」は、準「外地」であったとはいいながら、康徳二、三、七年(昭和十、十一、十五年)の国勢調査が残されていた。アメリカの統治下にあった琉球においても、本土と同じように、昭和二十五年から四十五年まで、五年ごとの調査が行われていた。

以上の全七輯の『国勢調査報告』によって帝国主義的な膨張を続けていった二十世紀前半の日本と、戦後のアメリカと統治時代の沖縄の実態が、人口というもっとも基本的な指標を通じて解明されうることになったのである。経済史や社会史を専門にするものにとってはもちろん、政治史、文化史、教育史などの研究者のためにも、もっとも基礎的なかけがえのない資料であるといえよう。文生書院では、『国勢調査』を手はじめに、「外地」の経済・社会関係の統計資料を次つぎに復刊してゆく企画があると聞いている。それが実現する日がくれば、滅び去った「大日本帝国」の実像を数量的に把握することができることになる。外地『国勢調査』の復刊は、この壮大な研究の第一歩が踏み出されたことを意味している。

私は、まず外地『国勢調査』の完全復刻版の出現に拍手し、今後の続刊を刮目して待つものである。これらの資料によって、近代日本史研究は、新しい段階を切り拓くことになるであろう。

(東京大学名誉教授 中村隆英氏による)

(注1)昭和十四、十五、十九年版国勢調査は戦後に刊行及び復刻刊行されております。

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