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はじめに |
いま風のキャッチコピーの表現なら「どうなってる映画学の今」ということになるであろうか。かつて、映画の黄金時代、民衆娯楽の殿堂と称された映画街と映画劇場の姿はしのぶべきもない昨今である。しかしながらアカデミズムの学問上では、映画を主体とした映像分野について、映画学の議論がいよいよ熱気を帯びようとしている。 かつては、時代を表現した文化または芸術ジャンルの中でも、映画はサブカルチャー視されて、従来の古典的な芸術分野である文学、絵画、音楽に対して第七芸術あつかいをされてきた。 だが最近では、映画はメディア芸術という別格のカテゴリーによってくくられている。国際的にも日本の映画・TV・ゲームなどが、時代の魅力を創設するクールジャパンと称されて、新しい視聴覚表現様式を取り込み、アニメからマンガ、そして風俗としてのカワイイという価値観にもとづく、コスプレの装いの演出による、様々な活動も盛況を呈している。 映画が誕生してほぼ百年の世紀を経過して、本来の機能である、複製媒体での機械技術による集団性の創作基盤という、映像の原則的な性格は依然として、現在にいたるまで成立したままの形態である。それにもかかわらず、受容も含めたジャーナリズム批評分野の論壇が、この現況を追従する社会状況に対して、特に美学的見地からの本質的な解明が百年前の思考活動から停滞したままである。 このような問題意識を抱えて、果たして「我が国に映画学が成立するのか」という疑問を追究することで、筆者の研究が始まったのは一九五〇年代のことである。これが筆者の変わることないモチベーションとなっている。 このたび一冊にした映画に関する記述は、今では一昔前の言説を総括的にまとめたものである。この古風な発言が改めて問題提起することで、日本の独自な映画学の軌跡を実証することが出来るならば、筆者にとって望外の任を果たすことになると願っている。
二〇一一年六月中旬 牧野 守  |
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