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 戦前 米国日本語教科書 〔復刻版〕
シアトル版「日本語讀本」
 Seattle's Japanese Language Readers 1920-30
歴史の中に埋もれた幻の日本語教科書が蘇る
Edward Mack 復刻版編纂 奥泉栄三郎 監修

米國西北部聯絡日本人会教育調査会編纂
巻1-8, (1921-1927) 原典8冊

米國西北部聯絡日本人会教育委員会編纂
文部省臨時国語調査会幹事 東京高等師範学校教授 文学士 保科孝一校閲
巻1-20、(1929、一部第2版:1931,第3版:1938年含) 原典20冊

別冊解題付き[菊版変形     ¥90,000 (税別)   パンフレットご請求ください。

 

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推薦文 by 粂井輝子(白百合女子大学英語英文学科教授)

米国西北部連絡日本人会教育委員会編纂『日本語読本』が改訂版も含めて全巻、文生書院の「初期在北米日本人の記録」第四期の別輯として復刻されますことは、宿願が達成された想いです。

この日本語読本との出会いは、三十年ほど前に遡ります。カリフォルニア州サリナスの仏教寺院に開設されていた一世パイオニア資料室で『カリフォルニア州教育局検定日本語読本』とともにこの日本語読本二十点余を手にしたとき、すぐにこの教科書の資料的重要性を認識しました。編纂の経緯を知りたい、内容を分析したい、国定教科書や植民地教科書と比較検討したいと思いました。以後、手帳に、コピーを保持している教科書の巻号を記載して、調査旅行の度に、この教科書がないか、調べました。今回この読本が発見されたシアトル国語学校にも、十数年前に訪れています。そのときに使用されていた教科書として展示されていたのは、国定教科書でした。当時の校長先生は、米国西北部連絡日本人会による国語読本の存在を知らず、そのようなものは一切ない、と断言していました。校舎が再定住時代のホステルとして使用されたために、場所を確保するために、処分されたのだろうということでした。がっかりしたことを今も鮮明に覚えています。

公立学校教育を補完する補習校的立場でありながら、独自に教科書を編纂した一世教育者の想い、編纂の意図と経緯、これらの資料は現在ワシントン大学特別資料室に保管されています。その想いが現実の教科書にどのように反映されているのか、現地社会との関係、アメリカ(市民)化とエスニシティの保持とのバランス、日本語教育としての手法、言語教科書としての価値、読本に使用された原典調査、等々、全巻が復刻されたことで、在米日本人史、日系アメリカ人史、日本語教育史、植民地教育史にまたがる研究が大きく進展し、歴史が書き換えられることでしょう。図書館にはぜひ所蔵して欲しい資料です。

 

シアトル版『日本語讀本』復刻版完成に寄す 監修者 奥泉栄三郎(シカゴ大学図書館司書)

ここでいうシアトル版『日本語讀本』は、戦前期における米国のワシントン州シアトル地区で児童・生徒用に編まれた、日本語教科書のことである。今回ここに、初めての北米圏の本格的な日本語教科書復刻出版プロジェクト(全二十八冊)が完成するに至り、すべての関係者各位と共に感慨無量である。流行のウエッブ書誌情報でもほとんど全容が掴めず、ワシントン大学に一冊、ハーバード大学に八冊、ミネソタ大学に五冊、カリフォルニア大学ロスアンゼルス校に二冊、等々の情報が掴める程度であった。戦前期北米の小学校や中学校の日本語教科書と云えば、ハワイ版と加州版を想起するのが定番であった。ワシントン州シアトル地区一帯やオレゴン州ポートランド地区一帯は、排日も相対的にはそれほど激しくなく、特に日本語学校やその児童はのびのびと学校生活を送っていたことを如実に伝えるのが、このシアトル版『日本語讀本』である。

幸いにもワシントン大学准教授のマック博士(Edward Thomas Mack)のお手配と御指導で、「教育調査会版」と「教育委員会版」のほぼ全巻を揃えていただき、ハーバード大学蔵版なども補充用に使用可能となり、いわば緩衝地帯に埋もれていた歴史的原資料を完全復刻に漕ぎ着けることができた。幸運というほか言葉もない。伏線的には同僚のハリソン氏(Scott Edward Harrison)のご協力も見落とすことが出来ない。彼はシアトル地区の戦前期日本語メデイアや文献や在米日本人古老たちの生活史情報に詳しい。今回は、マック准教授とハリソン氏のナマ原稿をいただき、元本に花を添えることも出来た。いづれも大変な労作で、訳文あるいは英文原文を読むことによって、読者はその言わんとする内容が単なる情報の羅列に留まっているものではないことに、まず気がつくであろう。日本文化学に対する深い学究的視野と熱意で解説されておられる。これを機会に、つまり、私共の作業が幾分かの「力」となって、他の地区版の数々の日本語教科書が何らかの方法で陽の目をみることを切に望んで止まない。

 

それにしても、米国北西部連絡日本人会とは、妙な機関名・団体名ではある。これは英語に直すとだいたい落ち着くところは United North American Japanese American Association となろう。当時、シアトル地区には一ダースもの「日本人会」および類似団体が群立し、それらを束ねた「連盟」あるいは「連合体」(federation)をこのように呼称したものである。この命名を見ただけでも、当時の文化的・時代的・歴史的な背景と気配りがあった証左となる。それは今や、当然視できる事柄である。心なしか日米開戦に向って Northwest American-Japanese Association という英名がしきりに使われた。これというのも、できるだけ「アメリカ化」していることを装った一例であり、その知恵はハワイ準州から加州へと流れ、シアトルに至ったものである。そのことは下部組織の教育調査会や教育委員会の組織と活動に、良くも悪くも影響を与えたと認識出来よう。特に、教育委員会はアメリカが自信をつけた誇り高き教育制度で、「日本人会」本体の自立力を分断する意図もあった。この制度は、やがて被占領下の日本に一夜にして輸出された。現在の日本の教育委員会制度の原点・原型は、周知の如くGHQが持ち込んだ。その採用・導入過程の初期には滑稽譚が少なくないが、大筋において日本人は、民主的・権力分散的という面で理のある制度と理解を示し受容した経緯がある。

 

最後にこの序文を締め括るにあたって、一言明記しておきたいことがある。「米国西北部聨絡日本人會教育委員會」(新字体・旧字体混用使用例)にあって、早稲田大学政治経済学科卒・新聞記者・ワシントン大学および同大学院卒の経歴をも持つ中河頼覚(元シアトル日本語学校々長:一八九一年‐一九六八年:山口県出身)は、「自分が後期全二〇巻の『日本語讀本』を編纂した」と語り、自らの名でも準教科書『日米作法の常識』(いわゆる修身教科書北米版)を発刊した。これは単に筆を執ったという手合いの作品ではなく、現場の教育者魂の結晶であった。私のメモに依れば、その彼は日米戦勃発時にFBIに逮捕され、強制収容所体験では一九四三年出所組の一員となり、シカゴに転住後はホテルとアパート業があたって「成金」となり、シカゴ新報社々長(『シカゴ新報』は現行)を歴任するなど、戦後のシカゴ日系人社会に多大な貢献をした人物とマークしてある。機を見て敏なる中河校長は、シアトル時代に長女の早逝を悼んで追悼録『曄子』(「あきこ」と読む・日本と華州の友好を願って横並びに一字化し名づけた少女名・私家版・必要に応じて英文共・『初期在北米日本人の記録』第五十二冊に採録済み)を著した人でもある。この書には、シアトルの日本人(日系アメリカ人)児童を中心とした日米市民の「絆」が刻まれており、真面目で赤裸な涙の物語が収まっている。

 参考文献

①『日米修好百年祭記念米國日系人百年史:在米日系人発展人士錄』 Nichi-Bei shūkō hyakunensai kinen Beikoku Nikkeijin hyakunenshi : zai-Bei Nikkeijin hatten jinshiroku/加藤新一 Shinʼichi Katō. Los Angeles:新日米新聞社Shin Nichi-Bei Shinbunsha, 1961. 23, 1431, 19 p., [9] p. of plates: ill., ports. ; 27 cm.

◎本書の一三〇一頁で中河は、シアトル版『日本語讀本』の編纂者は自分であると証言している。本書出版時の一九六〇年前後は中河の人生の絶頂期であった

②奥泉栄三郎「北米における現地日本語学校教科書の特色・種類・歴史―戦前期シアトル版全二八巻

復刻作業で考えたことども―」『アリーナ』第十二号[ARENA, Vol.12(2011) ](二〇一一年十一月)・四一三頁―四一九頁・中部大学 総合学術研究院発行(名古屋・風媒社発売)

 

推薦文 by 高木(北山)眞理子(愛知学院大学文学部教授)

戦前、アメリカ西北部シアトル市の日系コミュニティでは、二回にわたって現地生まれの二世児童に適した日本語教科書を編纂/出版した。今回復刻されるのは、一九二〇〜二七年にかけて出版された高畠版教科書と、一九二九〜三八年にかけて出版された保科版教科書の二種類である。

一九四一年十二月七日に日本軍の真珠湾攻撃によって太平洋戦争が始まると、日本語書籍や日本との関連がわかるものを廃棄したり焼却した日系は少なくない。アメリカ本土では一九四二年二月の大統領令九〇六六号によって、西海岸に居住していた十万以上の日系人(一世、二世)が強制収容されたことは周知の通りである。両手に持てるだけの荷物を持っての移住の際にも、日本語教科書が捨てられてしまったことは想像に難くない。そこでシアトル国語学校で使われた教科書についても、多くが散逸してしまい、その全ての発見は無理であろうと思われてきた。しかし、他でもないシアトル国語学校の所有物の中に、教科書は大切に保存されていた。そして、この度この復刻版出版のおかげで、多くの研究者のアクセスが可能となり、研究をすすめることができるのは本当に喜ばしいことである。

国語教科書は、単に言語教授のための本ではない。そこには編集に携わった一世移民が日本生まれではない二世児童に伝えたいと願った、日本の言語・文化的知識、価値観がつまっている。シアトルで出版された二種類の教科書の比較によって、アメリカ北西部の日系のおかれた出版当時の時代状況の変化や、児童の言語能力の変化を明らかにできるだろう。また、アメリカ生まれの児童のための独自の教科書編纂/出版は、ハワイやカリフォルニアでも行われ、その土地の日系のおかれた事情を内包するような教科書が出版されている。各地の教科書の内容比較が可能になれば、大変興味深い成果を期待できるのではないか。